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助動詞mustの両義性

Posted on 2010年10月5日

 (11)Simon must be polite.における、助動詞mustの両義性は、(11)に対応する否定文が2つあることに反映されます。
X: Simon mustn’t be polite.
Y: Simon cannot be polite.
  形容詞politeは、「礼儀正しい」という意味に解釈できますから、XとYに対応する(11)の両義性は、それぞれ、次のAとBになります。
A: Simonは、礼儀正しくなければならない。
B: Simonは、礼儀正しいに違いない。
  普通、politeが「礼儀正しい」という肯定的な意味で、(11)はAとBとで両義的ですが、politeが「堅苦しい」という否定的な意味では、Aの方ではなくBの方の解釈に限られます。
  次回は、次の(12)で、英語ではお馴染み…ingが関連しておりますが、一方だけではない、両方の解釈を、試みて下さい。
(12)Joseph is writing a dissertation.

everyとsomeの相互関係で両義的

Posted on 2010年10月1日

 (10)Every student is fond of some professor.のsome professorがsome professorsの誤りと見えるかもしれませんが、誤りではなく、この(10)は一義的ではありません。
 まず、(4)Each of my sisters loves a man from Texas.が、X「 私の姉妹は、それぞれ別のテキサス出身の男性を愛する。」と、Y「 私の姉妹は、一人のテキサス出身の男性を愛する。」とに、両義的であることを、お浚いしましょう。ここで、便宜上、姉妹を二人と仮定しましたが、三人、四人、…と増える可能性があり、三人以上の場合に、XとYに加えて、XとYの両面性を備えた解釈の可能性が存在可能なのです。
 では、(10)Every student is fond of some professor.の両義性を考えましょう、every studentは、(4)each of my sistersに相当し、「どの学生も」という意味を担い、これに対して、誤りではないsome professorは(4) a man from Texasに匹敵し、「ある教授」という意味になります。XとYと平行的な解釈が、それそれ、次のAとBです。
A: どの学生にも好きな教授が1人ずついる。
B:  どの学生にも好かれている教授が1人いる。
 (4)で姉妹が三人の場合、姉妹の内二人が一人のテキサス出身の男性を愛し、他の姉妹一人が別のテキサス出身の男性を愛するという、前者がXで後者がYである両面性を備えた解釈が可能であるように、AとBの両面性を備えた解釈が、every studentの学生数が増えれば増えるほどに、some professorに生ずる解釈可能数増加によって、増えるものの、最大数Aと最少数Bを把握して、両者の混交という両面性を指摘させて頂きます。
 次回は、次の(11)で、形容詞の意味が既習なら、中学3年生でも、その両義性解釈可能でしょう。
(11)Simon must be polite.

副詞の解釈が両義性に関わります

Posted on 2010年9月27日

  (9)A drunken man clumsily dropped his purse.において、副詞の解釈が両義性に関わります。clumsily「ぶざまに(も)」が、何を修飾するかが、決定的なのです。
  まず、典型的に、副詞は、A:動詞(句)を修飾し、副詞clumsily「ぶざまに(も)」が動詞句dropped his purseを限定します。考え易いと言いますか、考え難いと言いますか、主語a drunken manが、clumsily「ぶざまに」dropped his purseしたということで、dropped his purseに、「ぶざまに」対「ぶざまにではなく」という対立があって、「ぶざまにではなく」というより「ぶざまに」と限定されているのです。
  これに対して、場合によっては、副詞が、B:文全体を修飾し、clumsily「ぶざまに(も)」が文全体B drunken man dropped his purse.を限定します。こちらの解釈では、clumsilyが、dropped his purseを、「ぶざまに」であれ、「ぶざまにではなく」であれ、修飾し、副詞clumsilyが動詞句dropped his purseをどのように限定するかは、問題外で、動詞句dropped his purseが副詞clumsilyに直結するのです。
  両義性は、次のように、まとめられます。
A: 酔っぱらいはぶざまに財布を落とした。
B: ぶざまにも、酔っぱらいは財布を落とした。
  それにしても、Aに該当する方は、ご自分を「酔ってない」をおっしゃらないでしょうか、また、酔ってない方々が、Bを発するのでしょうか?

  次回は、(10)で、(4)Each of my sisters loves a man from Texas.より、抽象的です。
(10)Every student is fond of some professor.

英文を直訳しても両義性は解決せず

Posted on 2010年9月16日

(8)Taro washed his car, and Hanako did, too.は、両義的な箇所、即ち、両
義性が潜む箇所が、did, tooという代用表現が使われている部分である点は宜し
いでしょうか。 (8)Taro washed his car, and Hanako did, too.という英文を
直訳した「タローが自分の車を洗い、ハナコもそうした。」という和文も依然と
して両義的であり、両義性の解釈は残されたままと考えるべきでしょう。
 そこで、did, too「もそうした」の内容を、もう一段掘り下げる必要があるの
ではないでしょうか。did, too「もそうした」は、代用表現と言われる通り、代
名詞に普通その先行詞があるように、代用表現にも普通「先行表現」が存在する
と考えられ、(8)Taro washed his car, and Hanako did, too.における「先行表
現」は、Taro washed his car「タローが自分の車を洗った」と考えることがで
きるでしょう。Taro washed his car「タローは自分の車を洗った」は、意味と
しては同義になりますが、解釈の可能性として、A:タローという人が、タ
ロー(自身)の車を洗った、そして、B:タローという人が洗ったのは、自分の車
だ、の両方が存在します。そうして、このAとBに対応する代用表現did, too「も
そうした」の意味解釈は、A:ハナコという人も、タローの車を洗った、そし
て、B:ハナコという人が洗ったのは、自分(ハナコ)の車だ、の両方になり、次
のようにまとめることができましょう。
A: タローが自分の車を洗い、ハナコもタローの車を洗った。
B: タローが自分の車を洗い、ハナコも自分の車を洗った。
 
次回は、次に(9)で、両義性に関連する品詞が、ポイントになるでしょう。
(9)A drunken man clumsily dropped his purse.

主を教えず、従のみ教えると、…

Posted on 2010年9月13日

 (7)The scholar has a number of followers.は、中学校(2年生)では習わないにしても、Tom has a number of friends.「Tomには、多くの友だちがいる。」のような文が中学校(2年生)の教科書に載っていて、a number of 「多くの」というイディオムとしても扱われていたりします。
  辞書でa number ofを引きますと、A:severalとB:manyと言い換えられており、(7)The scholar has a number of followers.の両義性は、次の通りになります。
A: その学者には、数人[若干]の弟子がいる。
B: その学者には、多数[相当]の弟子がいる。
中学校(2年生)で習っているBが、すぐにわかって、これに対して、中学校(2年生)で習っていないAが、すぐにはわからない、というのが実態です。
  辞書では、AがBより先に記載されていることが多いように、a number ofの意味としては、A:severalが主で、B:manyが従と考えられ、Bの場合、より明示的には、“The scholar has a large/great/good number of followers.”のように、numberが「多い」を表す形容詞で限定されるのです。(7)The scholar has a number of followers.を解釈する場合、“The scholar has a large/great/good number of followers.”ではないことから、まず、主のAで解釈し、これが適わない場合に、“The scholar has a large/great/good number of followers.”ではないにしても、(7)The scholar has a number of followers.が、従のBと解釈されてししかるべきでしょう。
  (7)の教訓は、主を教えす、従のみを教えると、正しくない解釈が正しい解釈を上回ってしまうことでしょうか。

  次回は、次の(8)で、両義的な箇所をお考えの上、解釈をお試み下さい。
(8)Taro washed his car, and Hanako did, too.