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浅野:英語教育批評:「母語の学習と異言語の学習」について

Posted on 2010年8月10日

(1)「母語の学習」というのは不正確な言い方かも知れない。言語研究者の間では、「母語は(生得的に)獲得されるもの」とされているからだ。しかし、例えば日本語の場合、どの段階で「獲得した」と言えるのであろうか。成人はすべて「日本語を獲得して」、正確で間違いのない日本語を書いたり話したりしているであろうか。もちろん、そんなことはあり得ない。つまり母語といえども、人間は一生をかけて、いや、一生をかけても、完全に習得することはできないのだ。まずこのことを前提としておきたい。
(2)なぜ「母語 (mother tongue) 」と呼ぶようになったかは、母親の赤ん坊の育て方をちょっと観察すれば分かる。母親は常に赤ん坊に話しかけている。赤ん坊は母親の顔を見ながら、じっと聞いている。やがて、「アアー」とか「オオ」といった喃語を発し始める。3歳から4歳くらいになると、その言語能力に周囲の大人は驚嘆する。語彙力は急速に拡大し、周囲の大人が使ったこともない表現をしたりするからだ。これが通常の子どもの成長過程だ。現在では、母親の育児放棄や子殺し事件まで起きているが、今回は、この問題は話題としない。
(3)英語教師は少なくとも「英語のような日本語と違う言語」を学ぶことの難しさを知っているが、世間一般の人たちは、「子どもはあんなに早く言葉を覚えるのに、日本人はどうして長い間英語を学んでも、話せるようにならないのだろう」と疑問を抱く。そして「英語の先生や教え方がおかしいのではないか」と言い出す。これは、“素人”の見解としては、やむを得ない点がある。むしろ“玄人”としての英語教師がしっかりと説明すべきことかも知れない。英語教師にも責任があるのだ。
(4)英語教師の責任と言えば、何か新しい理論が紹介されると、それに飛びついて、他のことを考えなくなる傾向があることは反省すべきであろう。例えば、「言語使用は単なる模倣ではなく、創造的な活動である」といった主張を信じて、「もっと創造力を伸ばす教え方をしよう。暗記させる教え方はもう古いのだ」と思ってしまう。こういう英語教師の傾向を示す証拠が1つある。「現代英語教育」(研究社出版)の1997年1月号は、「やはり暗記も大切だ」という特集をしている。「やはり」とあるのは、暗記を排斥する傾向があったことを示している。冒頭の記事は原田正明氏(江戸川女子短期大学)の「英語学習と暗記の問題」で、当時の英語教育の状況を分析し、暗記指導の問題を多角的に論じている。そして、「日本語と外国語は違う言語だ」ということを意識することを主張している。
(5)私は、母語と異言語の相違点で注目すべきは、「言語環境の違い」だと考える。例えば、母語の場合は、周囲から浴びせられる言語音声は、瀧の水を浴びるようなものだが、教室での英語は、まるで雨だれのような貧弱なものである。母語の場合は、無理に暗記しなくても、繰り返し実例に触れているうちに自然と覚えてしまうのである。教室の英語に限界があるならば、個人的に努力して繰り返すよりない。そういう継続と集中力の必要性をなるべく早くから教えるべきだと思う。(浅 野 博)

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Comments (1) Trackbacks (0)
  1. 日本アイアール株式会社
    代表取締役 野原 剛 様

     「母語の学習と異言語の学習」についての記事、有り難く拝見致しました。

    私からも、興味深い、英語教育の例を、1つ、
    ご紹介致します。
    私のスウェーデン人の友人は、英語圏の人々以上に、流暢な英語を書いたり話したりします。
    スウェーデンの英語教育にも注目したいところです。

    以上、御参考まで。

    吉田 愉美子
    yumiko.dream@jcom.home.ne.jp


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