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浅野:英語教育批評:「教師の同僚性」について

Posted on 2010年11月17日

(1)「英語教育」2010年 12 月号(大修館書店)の特集は「“教師の同僚性”を高める」である。昔は“同僚”とは言っても、“同僚性”などという言葉を聞くことはなかった。すなわちこれは極めて今日的な用語であり、なぜ“同僚性”といった言い方をするのかをまず考えなければならない。

(2)今日では、“無縁社会”といった言葉が「流行語大賞」の候補になるくらい家庭でも職場でも人と人との関係が疎遠になっている。学校では、封建的な「先輩と後輩」といった関係は薄れてもいいが、“同僚”の関係は保たれるべきだ。ところが、もう10年ほども前から、新任教員と先輩教員のコミュニケーションがうまくいかないという話はよく耳にしてきた。こういう望ましくない傾向が強いことを前提に考えていく必要があろう。

(3)12月号の特集記事の最初は、山岡憲史(立命館大)「これからの教師の同僚性を考える」で、冒頭にふさわしいタイトルである。しかし、私は読んでからいささか失望を禁じ得なかった。執筆者の現状認識がずれていると思ったからである。例えば、教員間の連携はなぜ大切なのか、の答として、「まず、当然のことであるが、孤独に教育に取り組むよりも断然楽しい」と書いている。これは、孤独な独居老人に対して、「皆と一緒のほうが楽しいですよ」と言うようなものではなかろうか。一人にならざるを得ない理由は様々なのだということをまず考えるべきであろう。

(4)2番目の池田眞澄(東京都立南平高校)「教師の同僚性を高めるために」は、全体的に楽観的過ぎると思う。特集のテーマの「同僚性を高める」というのは、「現状でも何とかうまくいっているが、より改善するにはどうすべきか」という問題提起であろう。もちろん、私も「うまくいっている場合」の存在を否定するつもりはない。そういう実例は、うまくいかない職場の人々が参考にできるであろうが、それなら、テーマを「教師の同僚性の実情」などにしたほうがよい。

(5)池田氏は、「最近 PISA の成績が落ちたと批判されたりしていますが、それでもかなりの上位にいるのですから日本の教育の質は高いのです」と述べている。さらに、「いっぽう国が教育に投入する予算はというと OECD 諸国の中で最下位です。つまり経済効率から言えば、日本の教師はものすごい成果を上げているのです。それは教師たちの個々の授業研究とともに、教職員集団の同僚性の高さに支えられていると言えるのではないでしょうか」と言う。「予算がなくても効率は上げられる」といった主張を聞くと、私などは、戦時中の「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」といった標語を思い出す。

(6)一方では、池田氏は、精神的疾患などで退職する教員の多いことにも言及し、教員の職場の厳しさを指摘している。そういう現状認識をするならば、もっと違った主張の仕方があるのではなかろうか。その他の記事も、失礼ながら「似たり寄ったり」のように感じる。もう1度、前提、現状、改善方法、将来の見通しといった観点から再考してほしい「特集」だと思う。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

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