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両義性が、否定の二種類は、宜しいのですけれど、…

Posted on 2010年12月13日

 今回の(20)は、前回(19)以上に異論の余地が大きく、両義性と併せて考察いたしましょう。
(20)I cannot do anything.
 まず、英語not (...) any...は、日本語「何も…ない」に相当するという知識から、Aの解釈が思い浮かびます。
A: 私は、何もできない。
当然、Aの否定は、全くないということで、全(部)否定ですね。これは、否定でも基本的な事項で、Aは、全(部)否定でも、典型的な全(部)否定と言えるでしょう。
 ところが、とある英文法の参考書には、次のBの解釈も併記され、(20)が両義的であると記されているのです。
B: 私は、何でもできる訳ではない。
しかも、Aの全(部)否定の解釈に対して、Bの「何でも…という訳ではない」という部分否定の解釈で、Aが「100%…ない」に対して、Bが「100%…ではない」であると、否定二種類の対比としては、お見事ですらあります。
 真実は、単純明快が多いのでしょうが、逆に泥臭い場合も少なくないでしょう。二種類の否定を対照させるには、上記の両義性は最適であるかもしれませんけども、(20)がBの部分否定に解釈されるのは、通例というよりは、異例、それもかなり異例でしょう。(20)がBのように解釈される実例が、あるのかどうかに注目しつつ、他で説明されているのか、見守っている段階なのです。
 尚、(20)には、Bの解釈の他にも、cannotをcan’tではなく、can notと2語で綴られるのかどうかことも絡んでおり、こちらはcan notに関する辞書の記載は見かけるものの、実例を見かけたのが何時だったのか、記憶にございません。
 両義性シリーズは、今回で完結です。次回からは、「誤りありますか、解釈するか、訂正するか」①-⑳を開始し、次回はその導入回で、このシリーズの趣旨をご説明します、ご期待下さい。

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