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浅野:英語教育批評:「日本を支える力」を考える

Posted on 2010年12月17日

「日本を支える力」を考える
(1)これからの日本を支える力は、3つのものが必要と私は考えている。「政治力」「経済力」「学力」である。このことを前提にして、「英語教育」(大修館書店)の2011年1月号の特集「日本を支える英語教育とは」を読むと、私には疑問や不満に思われることが少なくない。まずこのタイトルを見て、「英語力」だけを優先的に考えることでよいのであろうか、と心配になった。

(2)鶴田知佳子(東京外語大)「国際社会で活躍する日本人にとって必要な英語力とは」が冒頭の記事である。私ならば、「国際社会で活躍する」というのは、どういう仕事をすることかを定義したいが、それは見出せない。鶴田氏は「通訳養成」の立場から述べてはいるが、強調しているのは、「現実世界ではリンガフランカ(共通語)は英語になっている」ということである。百歩譲って、そのことを認めても、「日本人はどういう英語を使うべきか」という大きな問題が残るのではないか。

(3)日産のゴーン社長は、フランス語なまりの英語を話すが、あれなら日本人にも分かりやすいし、国際的にも通じるであろう。日本人の場合は、大学生でも、そしてビジネスのことではなくても、あのように流暢に長くは話せないのが普通である。つまり「中身」がないからだ。日本人の多くが、国際社会で、英語を使って活躍できるためには、教育全体の現状を徹底的に改革しなければならないが、その可能性は極めて低いと思わざるを得ない。

(4)林揚哲(経済産業省)「産業界が求める『グローバル人材』とは―『グローバル人材育成委員会』の取り組み―」は、「グローバル人材」には、①「社会人基礎力」、②「外国語でのコミュニケーション能力」、③「異文化理解・活用力」が必要だと述べていて、この点は私も賛同できる。しかし、若者たちの海外志向の低下をグラフで示しながら、改善策は抽象的な文言で終わっているような感じがするのは残念である。

(5)小中高の立場から、現状の問題点を指摘し、改善策を提案しているのは小泉仁(東京家政大)「小学校で英語を学習することで何が変わるか」である。ただし、小学校の英語活動が場面中心の指導をしているのに、中学校の教科書は「文法シラバス中心」になっていると述べているが、それは指導要領のせいであろう。それが望ましくないならば、指導要領から文法項目の指定を削除するような主張をしてもらいたい。

(6)杉谷真佐子(関西大)「今、『英語プラス1言語』の選択肢を考える」の主張は同意できる点が多い。しかし、文科省は昔から「外国語(英語)」のような言い方をしてきたので、今後はもっと具体的に「複数の外国語からの選択」を可能にする方策に切り替えることを強く要望してもらいたい。小学校から英語を押しつけられて、英語嫌いになったら、逃げ場がない現状を改めて、高校、大学では、いつでも英語以外の外国語を学習できる機会を与えるようにすべきだと思う。

(7)バブル時代のビジネス関係者は、「英語は度胸」(こういう題名の本もあった)とばかり積極的な商売に徹してきた。その結果「エコノミック・アニマル」と呼ばれたりしたが、とにかく必死で努力をした。現在の若者たちに、そういう積極さが欠如しているとしたら、「英語力」をつけることだけを叫んでもむなしいだけではなかろうか。
(浅 野 博)

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