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浅野:英語教育批評:「リメディアル教育」の基本問題とは?

Posted on 2011年1月21日

(1)「英語教育」誌の2011 年2月号(大修館書店)の特集は「英語のレメディアル教育を考える~大学での取り組み・高校からの見方」である。私が “remedial” という単語を知ったのは、50年ほど前(1958)に渡米した時だった。2か月ほどノースカロライナ州の大西洋岸のエリザベス・シティ(Elizabeth City)という小さな町に滞在した。ホームステー(当時はこういう言い方はなかったが)をした家庭の奥さんは小学校教師を引退していたが、100キロほど離れた小学校で、「リメディアル・クラス」の担当を依頼されて、引き受けていた。100キロといっても、その65歳の婦人は自分で車を運転し、往復2時間くらいで通勤していた。ほとんど信号のない田舎道は、高速道路のように走れるのだった。

(2)当時の私の任務は、学校訪問をして制度や教育内容を学ぶことだったので、リメディアル・クラスも参観させてもらったが、1クラスは5、6名ほどで、6クラスあった。生徒の多くは知的障害のある子どもたちで、普通のクラスの倍以上の時間をかけて教えていた。英和辞典では、remedial education に「補習授業」とか「治療クラス」などの訳語を与えているが、概念が少しずれているのは仕方がないと思う。(当時、黒人は完全に差別されて学校は別だった。黒人の学校も訪問する機会があったが、生徒も教員も大変真面目で、ほぼ白人と同じように熱心に勉強をしていた。ノースカロライナ州は、黒人との衝突がない “quiet States” (穏健な州)の1つだった。 )

(3)特集の記事を読ませてもらうと、執筆者によってかなり視点や考え方が違っている感じがする。もちろん、それぞれ個性のある記事でよいわけだが、まず①「何故大学のリメディアル教育が必要なのか」→②「それは日本人の全体的な学力低下とどういう関係があるのか」→③「その原因は学校行政のどこに責任があるのか」→④「指導方法や指導内容はどう改善されなければならないのか」という思考の流れがあって、⑤「そのことと英語教育はどう結び付けて考えるべきか」→⑥「英語の授業はどのように改善されるべきか」に至るべきであろう。

(4)私は以上のことをすべて書けと言っているのではなくて、考え方の基本方針を指摘しているのである。①から④の問題を論じるならば、英語教師以外の教育問題の専門家に執筆を依頼したほうがよいであろうが、関連する書物は数多く出ているから、参考書目として挙げるだけでもよいであろう。合田美子(熊本大学)「リメディアル教育と自己調整学習――自分の学習を振り返るところからはじめてみる」は、他の記事と同じように、英語以外の学習と英語の学習が混同されて論じられているように思う。論じ方は丁寧で、用語の定義もしっかりしているが、上に挙げた「前提」(①~④)をもう少し意識してもらいたいのである。

(5)臼倉美里(昭和女子大)「学生をやる気にさせる動機づけの工夫」とか、田原博幸(札幌大学)「自動繰り返し学習機能付き e ラーニングの有効性」なども立派な実践報告だと思うが、こういうことを中学、高校でやっておけば、大学生に「補習授業」をやる必要性は小さくなるであろうに、と考えるのは私だけであろうか。また、発想を変えて、「君は英語が不得意なようだから、中国語か朝鮮語をやってみないか」といった忠告ができないものであろうか。いつまでも「英語は必要だ、しかし、できない」という劣等感を持たせるよりも、別な方法を実行させたほうがよいであろう。それを可能にするためには、「教育行政の改革」が必須条件なのだと思う。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

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