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浅野:英語教育批評:「リメディアル教育」再考

Posted on 2011年2月16日

(1)前回のブログで、「私が訪問したクラスは、生徒の多くが知的障害のある子どもたちで…」と書いたところ、私的なメールで、「知的障害ではない場合」について質問があった。一般性のある問題だと思うので、ここでお答えし、補足させてもらうことにしたい。

(2)現在、日本では、「知的障害[者]」という用語が定着しているが、かつては差別的な用語が用いられて、対策も十分ではなかったと思う(こういう用語は時代によって変化するので注意が必要)。英語では、”mental deficiency” などと言うが、主に脳に病気があったり、外傷を受けて正常に機能しなかったりすることらしい。

(3)私がアメリカの現地で聞いた範囲では、脳の病気や外傷といった原因以外には、「両親が離婚して、親権の争いがあったりすると、生活環境の変化から精神的に影響を受けて、親や先生の言うことをきかないとか、勉強をしないといったことになる」とのことだった。当時“いじめ”(bullying) という用語は使っていなかったが、普通のクラスの生徒が、リメディアル・クラスの生徒たちに偏見をもたないように、先生方は十分に配慮していたように感じられた。そして、リメディアル・クラスの生徒が、その数は年によって違いがあるが、徐々に自信を持つようになり、普通クラスに編入されることもあるとのことだった。

「英語教育」(大修館書店)2011年3月号の特集について
(1)この号の特集は「英語教師のやっておいて良かったこと・やっておけば良かったこと」であるが、「定年退職をした教員ならば、書きたいことは沢山あるだろう」と私は思った。しかし、編集部の意向は、この号の表紙に書いてあることを読むと、“勤務校を変わって”とか、“小学校英語に取り組んだ経験から”といった節々での変わり目を想定しているようである。

(2)後輩教員への“忠告集”ならば、“懺悔録”(表紙の解説の中の用語)なんかよりも、「こうしたほうが良いよ」「この問題はこう考えるべきだ」といった積極性のある助言のほうが感じが良くて、有益であろうと思う。特集記事の執筆者は、大学3名、中学4名、高校1名、中高1名、退職者1名の12名である。したがって、記事の内容はほとんど“忠告集”である。

(3)後輩への忠告もたやすいことではない。経験のほとんどない教員や教員希望者は、「こうすべきだ」という一般論を鵜呑みにしがちである。例えば、「英語力をつけよ」というのは必要な忠告だが、それで、“立派な英語教師”が生まれるわけではない。中には自分の勉強に夢中になって、教えることを忘れてしまう教師もいるが、教師には“授業[実践]力”も要求されるのである。だとしたら、今回の特集は、「英語教師の“英語力”と“授業力”」とでもしたほうが、執筆者にも読者にも分かりやすかったのではないか、と愚考する次第である。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

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