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「英語教育批評」(その69)(自民党の英語教育)

Posted on 2013年5月7日

 

「自民党の考える英語教育」について

(1)5月1日の朝日新聞は、“オピニオン”という欄で、片面の三分の二ほどを使って英語教育のことを取り上げていました。その内容について考えてみたいと思います。発言者の一人は自民党の遠藤利明衆議院議員で、自民党の教育再生実行本部長です。その主張の要点は次のようなものです。

 

(2)①中学高校で6年間も英語を学んでも英語が使えない。②米国で広く用いられている TOEFL をセンター入試の英語に代わって大学入試に課すことにしたい。③その結果、英語の授業は変わらざるを得なくなる。④ TOEFL は程度が高過ぎるという声もあるが、それなら現状をどう改善するのか。より良い方法があるならば教えてもらいたい。

 

(3)一応謙虚な姿勢のように見えます。しかし、「TOEFLを国会議員の立候補の条件にしてはという声もあるが、英語が出来ないと政治家が務まらないのかどうか(問題だ)」と開き直っています。「これからの国際化の中で生きる子どもたちに英語が話せることは必要だと言っているのだ」として、「こうした主張を7月の参院選挙に自民党の公約として打ち出す」とも述べています。

 

(4)これに対して、もう一人の発言者は和歌山大学の江利川春雄教授で、全面的に遠藤議員の考え方を否定しています。その見解の要点は次のようなものです。①学校教育だけで英語が話せるようになる、というのは幻想だ。②日本語と英語では文法も発音もあまりにも違い過ぎる。しかも、6年間といっても、その合計学習時間は7、8百時間に過ぎない。③ TOEFL は高度な読む力や書く力を求めているテストで、東大の入試問題や英検1級より程度が高く、もちろん、学習指導要領には準拠していない。④学校の英語教育は、「読み書き中心」と思っている人が多いが、20年ほど前から、英語の教科書や授業は、“コミュニケーション重視”になっている。

 

(5)⑤しかも、その結果、英語嫌いが増えたり、実力が低下したりしている。今は、そういう問題点を検証すべき時だ。⑥学校の英語授業は基本的な文法や音声を教え、将来英語が必要になった時に自力で頑張れば伸びる基礎をつくっておくことだ。学校教育に責任を押し付けることは止めて欲しい。

 

(6)結論から言いますと、私は江利川教授の主張に全面的に賛成です。英語にも自信がなく、自助努力もしない政治家に英語教育を論じてもらいたくありません。江利川教授も指摘していますが、「英語さえ出来ればグローバル人間になれる」とか、「世界の人々と交流できる」といった英語一辺倒の姿勢にも反対したいと思います。私は、江利川教授の他の場面での発言については批判もしてきましたが、今回の朝日新聞紙上の発言については全面的に賛成です。

 

(7)ある民放の番組では、幼稚園では英米人の講師が完全に英語だけを使い、家庭では両親とも英語を話さないので、もっぱら日本語だけ、という1つの例を放映していました。そういう幼稚園や家庭もがあることは認めますが、商売の自由競争みたいに、「競争に負けたら、負けたほうがが悪いのだ」というような政策には大きな疑問を感じます。これからは中高の英語教員にもっと発言をしてもらいたいと希望します。学校という組織の中での抵抗は難しいものです。しかし、それこそ、生徒の将来のためにやるべきことではないでしょうか。(この回終り)

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