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「英語教育批評」(その70)(「クリル“CLIL”」について)

Posted on 2013年5月20日

(1)ここ2年ほどの間に、私はネット上でいろいろ検索をしていて、“CLIL”という用語を見つけて、少し調べてみました。外国語(異言語)の教え方に関するものだとは分かりましたが、これまでの教え方と特に変わった点は見つけられなかったので、「何故わざわざ新しい用語を使って説明する必要があるのだろう」という疑問が残った記憶があります。ただし、ヨーロッパではそれぞれの国によって、外国語教育の目的や方法が異なるので、CLIL の概念も幅が広いということは認識しました。

 

(2)「英語教育」(大修館書店)の2013年6月号の特集は、「CLIL<クリル>内容言語統合型学習―『英語で学ぶ』授業の可能性」ですから、私の2年越しの疑問が解けるのではないかという期待を持って読みました。最初の記事は、笹島 茂(埼玉医科大学)「CLIL はおもしろい―背景とその可能性」です。ヨーロッパを中心した CLIL の実施状況が地図を示してあって分かりやすい記事です。CLIL はContent and Language Integrated Learning の頭文字であり、特集のタイトルの「内容言語統合型学習」のことだというわけです。でもこれだけでは、経験の浅い英語教員には、何を意味しているのか分かりにくいと思います。手っ取り早く言えば、「理科の授業を英語で行う」ことを考えてみれば良いでしょう。

 

(3)今回の特集には、座談会「日本におけるCLIL 活用の可能性」という記事(pp. 15-17)がありますから、これから読むのがよいかも知れません。最初に司会者から、「内容統合型の意義」を問われて、池田 真氏(上智大学)は、「ひとつには、英語を道具として使う必然性が出てくることです」と答えています。このことを理解するためには、座談会の前にある同氏による記事「CLIL の原理と指導法」を読むべきでしょう。そこには、定義、指導例、段階別の活用例などが示してあります。

 

(4)私自身がまだよく分からない点があるのですが、日本の学校における英語教育の場面を考えてみますと、「英語を通してある“内容”を学ぶ」という場合は、英米の生活習慣などを知ることが主な目的とされてきました。「いや、それでは不十分で、それぞれの地域のお祭りとか食べ物とかを紹介出来ることも目的とすべきだ」という意見もあるでしょう。しかし、学校ではそういうことを母語である日本語でしっかり訓練しているでしょうか。それを反省しないで、何でも英語教育に負わせようとする方針には、私は賛同出来ないのです。

 

(5)池田氏は、中学3年用の英語教科書の“落語”を教材にしたものを例にして、「落語に関する英語の記述は、わずか3行なので、CLIL の考え方に基づいて、発展的な教材を準備すべきだ」と言い、その指導例を示しています。そうでなくても時間の足りない英語教育でそこまで要求することは、「果たして現実的に可能なのでしょうか」と、私の疑問は尽きないのです。中学、高校では毎日3時間の英語の授業があって、検定教科書も現在の4,5倍の厚さがあるというのであれば話は別ですが。

 

(6)私は、新しい考え方をすべて排除すべきだと言いたいのではありません。今回の特集は、CLIL の何であるかを知るには適切で有効な記事が多いと思います。しかし、その応用の実践において、どういう障害があり、それを克服するにはどういう方法が現実的かという点の検討が欠けているのではないか、と指摘したいのです。特集の副題には、「“英語で学ぶ授業”の可能性」とあるのですから、その可能性を追求してもらいたいのです。(この回終り)

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