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「英語教育批評」(その76)(“リーディング”の再考)

Posted on 2013年8月15日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2013年9月号の特集は、「『質・量充実』時代のリーディング指導をどうする?」となっています。私はまず、「『質・量充実』時代」とは何だろう」と疑問に思い、どこかのスーパーマーケットかファミレスの宣伝文句ではないかと、皮肉の1つも言いたくなりました。それとも、「質・量充実の時代であること」は英語教育では常識なのでしょうか?

 

(2)最初の記事は、卯城 祐司(筑波大)「英語リーディングの質と量―生徒は本当に英語を読んでいるのか?」で、センター試験や教科書の英文の量について、指導の仕方が予習などの勉強方法に影響することが大きいことを指摘しています。つまり「次の授業では20行しか進まないと分かれば、ほとんどの生徒がそこだけしか読んでこない」ということで、これなら私にも身に覚えがあることで、よく理解できます。その他の指摘も適切なものだと思います。

 

(3)2番目の記事は、大里 信子(東京学芸大附属小金井中)「教科書の理解を助ける効果的な補充教材」で、中学校での実践例を、文字の認識からパラグラフの理解、物語や説明文の読みへと段階を踏んで、丁寧に解説しています。分かりやすい実践例だと思います。そうした実践を阻む問題点にも言及してもらいたかった感じがします。

 

(4)本号の「特集」の文言をそのまま使った記事は、藤田 賢「三重県立神戸高校」「『質・量充実』時代のリーディング・テストで大切にしたいこと」ですが、最初に次のようなことを述べています。

「英語の書き物を受動的に摂取することが中心であった時代と違い、テキストの「量」が増大し、「質」が多様化しており、読んで理解したら終りではなく、読んだことに基づいて発信する必要がある」(p. 32)

 

(5)これを読んで私はやっとこの特集の意味が分かってきたような気がしました。しかし、「テキストの量が増大し…」というのは事実でしょうか。高校の英語の科目はしばしば改訂されますが、学習指導要領の姿勢が本質的に変わらない限り、教科書の分量が著しく増えることはまず考えられません。高校授業料の軽減措置もまだ不確定な要素が多い状態ですし、奨学金が多少増えても、教科書の分量とは関係ないことだと思います。

 

(6)「日本の中高生の多くは、高校、大学の受験勉強はよくするけれども、長い英文のテキストを読破するようなことは極めて少ない」とは、かなり以前から言われてきたことです。アメリカの高校生がレポートを書くのに何百ページもの資料を読むのに比べて、日本の教科書の貧弱さは過去も現在も大きな問題なのです。

 

(7)本号の「編集後記」を読みますと、上述のような英語教育に関する時代的な変遷を少し語っていますが、視点は“リーディング”にあることが分かります。それならば、「特集」のタイトルも、「グローバル化時代の英語教育で、リーディング教材の質を高め、量を増やすためにはどうすれば良いか?」くらいの言い方をしてもらったら、分かりやすかったのにと思います。「英語教育」誌の読者は、経験の浅い教員もいれば、全く経験のない英語教員希望者もいることを忘れないでもらいたいと思います。(この回終り)

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