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日英語言葉のエッセー(その8)(女性の人権のこと)

Posted on 2014年4月9日

(1)日本語では“カメラマン”は広く使われていて、いわば市民権を得ているようです。しかし、“カメラウーマン”は聞かれません。これはどうしてでしょうか?1つには、重い機材を担いでレポーターの後を追ったり、時には先廻りをして、急坂を登って来るところを前から撮ったりするのは大変な労力を必要とするので男性に限られるということがあるでしょう。昨日(4月4日)のNHK ラジオの深夜放送を聞いていたら、「アフガニスタンで、“ドイツの女性カメラマン”が襲撃されて死亡した」と報じでいました。“カメラマン”は“中性化”した用語にもなっているようです。

 

(2)カメラマンの仕事が、体力だけの問題であれば、女子プロレスラー並みの女性を雇うことも不可能ではありません。現に、お笑い番組やコマーシャルによく出演している佐々木健介・北斗晶 夫妻のようなプロレス出身のタレントもいます。女性の進出を社会問題として考える場合には、私はもっと根深い日本社会の状況を考察する必要があると思うのです。

 

(3)吉川裕子『アメリカン・ウーマン』(講談社現代新書、1979)という本があります。発行はもう今から30年以上も前のことですが、アメリカ建国以来の女性の進出とその問題点を解説しているものです。当時は、アメリカの主婦たち(”housewives”)が自分たちの立場に疑問を抱き始めた頃で、著者はその動きを詳しく説明しています。そしてそれは、長く、つらい道のりだったのです。

 

(4)アメリカの独立宣言は、トーマス・ジェファソン(Tomas Jefferson)によって書かれたとされていますが、最初の “All men are created equal.” について吉川氏は、「この men は“男”であって、女性は除外されていた」と述べています。従ってこの文は、「男性は全て平等な状態で生まれてくる」とでも訳すべきかも知れません。著者は、「当時の女性には参政権はなく、土地やその他の財産も持てなかった」とも述べています。

 

(5)古代から狩猟民族であった人たちにとっては、「狩りをするのは男性」で、「家事をするのは女性」と決まっていたようです。農耕民族は、男女協同で働きましたが、家事と育児はやはり女性の仕事だったと思われます。そういう長い歴史が特に女性には不利な状況を作り出したと言えるのでしょう。日本は敗戦(1945)後、アメリカの民主主義を真似してきたのですが、女性が参政権を得たのは、ニュージーランドが最も早く(1893)、アメリカ(1920)、イギリス(1926)とされています。

 

(6)日本では、市川 房江(1893—1981)のような先駆者がいて、女性の参政権のために闘ってきた歴史があります。市川 房江は、民主党の菅首相を「総理の資格が無い」と批判したのは私にも記憶があります。最近のニュースでは、女性による連続殺人事件とか、理化学研究所の論文捏造事件のように、女性が主役の事件が多いのはどういうわけでしょうか。

 

(7)私の持論は、「日本人はお人好しであること」ですが、その裏面では、「男性優位で、女性を隷属的に見る習慣が身に付いている」ということでもあります。テレビの画像をよく見ていると、“男性カメラマンの視点からの映像”が多いことに気づくはずです。また、言葉の問題もあります。第2次世界大戦の最中の大本営発表では“退却”を“転進”と誤魔化し、“全滅”を“玉砕”と美化して戦意を煽ったのです。

 

(8)戦後も、その癖は直らずに、敗戦→終戦、占領軍→進駐軍のように言い換えていました。こういう言い換えを一概に悪いとは言えないとする見解もあるかも知れませんが、ことの本質を見誤る恐れは大きいと私は思います。最近のように、“完全に”と言えばよいのに、“パーフェクトに”などと、政治家や評論家が口にするようでは、日本人の言語感覚は麻痺してしまうであろう、と私は心配します。(この回終り)

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