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日英ことばのエッセー(その13)(“通じる発音”とは?)

Posted on 2014年9月8日

(1)NHK の“Eチャネル”(元の教育テレビ)では、中高生向きから、成人向きまで幾つかの英語学習番組を放送しています。以前は、いかにも“講師の先生が指導します”という感じでしたが、現在は、テレビのバラエティ番組に影響されてか、かなり“くだけた形式”のものになっているように感じます。

 

(2)“勉強はあまり堅くならないで、気楽にやりましょう”という呼びかけには私も賛成ですが、発音に関してのかなり甘い判定には不満を感じます。例えば、ゴルフの人気プレーヤー石川 遼さんを参加させての“スピードラーニング”という教材の宣伝は感心出来ません。英語とその訳文を聞くだけで、“英語が話せるようになる”というのは、コマーシャル向きの誇張にしても、度が過ぎていると思います。

 

(3)これ以上具体的に指摘することは営業妨害で訴えられる恐れがありますから止めますが、英文とその日本語訳を聞いたからといって、“英米人に通じるように話せるようになる”とは、私は思いません。このことは、私の60年に及ぶ英語指導の経験から断言できることです。学習者の中には、“発音のすばらしい天才的な能力の持ち主”がいることはありました。しかし、それはあくまでも“例外”です。

 

(4)テレビのバラエティ番組などで、タレントたちが英語学習時代の思い出を語ることがありますが、「このように、発音に関する注意をされた」という声を聞くことはまずありません。「何回も同じことを全体で言わされた」、とか、「声が小さいと叱られた」といった内容のものがほとんどです。

 

(5)話は変わりますが、ラジオやテレビの番組では、視聴者の声を聞くために、「ここへお便りをして下さい」と頼むことがあります。そして、「その際はお名前には必ずフリガナをつけて下さい」と付言しています。しかし、実際にはフリガナを付けない人が多いらしく、アナウンサーが、「この方は、小林サチコ(幸子)さんでしょうか、ユキコさんでしょうか」と困ることがよくあるのです。うっかりして、フリガナをつけるのを忘れるのでしょうか?そうではないと私は思います。

 

(6)中学1年生に英語を教えていると、順番に名前を言わせる場合があります。その際に、”My  name is….”は声が大きいのに、肝心な“名前”になると、声が小さく、早口になってしまうことがよくありました。私はこれは“日本人の民族文化”に関わる問題だと考えています。つまり、日本人は“自分の名を名乗る”ことに“ためらいを感じる”ことが多いのです。NHKが日曜日のお昼に放送している“のど自慢大会”でも、入賞者は、名前と住所を尋ねられますが、自分の名前のところは早口になることが多いように感じます。

 

(7)テレビの無い時代は、ラジオを聞くことが主な娯楽になっていましたが、私は小学校5,6年生の頃には、講談を聞くのが楽しみでした。戦国時代の合戦の最中に、大将らしき武士が大声で、「やあ、やあ、我こそは~軍の大将であるぞ。いざ、尋常に勝負せん」と言うと、周囲の雑兵どもは、小競り合いを止めて、大将同士の合戦を見守るのでした。大将同士の勝負がつくと、負けた方の軍隊は一斉に退却を始めて、勝った方の軍隊に蹴散らされてしまうのでした(広辞苑で“名乗る”を引くと、例が示されています)。

 

(8)こういう民族文化は、誇るべきものとして維持すべきでしょうか?それとも、グローバル化に合わせて、改善すべきでしょうか?私はまだ結論を出せないでいます。(この回終り)

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