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サッチャー教育改革の功罪(1)

Posted on 2014年10月21日

サッチャー首相教育大改革を断行する

 

日本の安倍首相が惚れ込んでいて、民主党も気に入っていて、大阪の橋本市長も、これを模範にして「教育基本条例」を作った「サッチャー教育改革」とはどんなものか、これを知る必要がある。特に英語教師は、政府が目指している教育改革の模範である英国のサッチャー改革を理解し、評価し、父兄に、周りの人々に説明してやることができなくてはならないと思う。

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私など年配者の一部にとっては、昔のイギリスの教育は憧れであった。1970年から80年頃、家族を連れて英国に留学した先輩からイギリスの保育園や小学校の話を聞いた。

 

先輩の奥さんが言っていた。保育園はまるで茶の間なの。子供たちはそれぞれ遊んでいて、保母さんは紅茶など飲みながらただ見ているの。こんな状態で学校に上がったらちゃんと先生の話を聞けるのかしらと心配だったの。

 

小学校へ上がったら、これがまた茶の間なのよ。先生はひとりずつに対応して、全体で先生の話を拝聴するといったことがほとんどないの。子供たちは勝手に歩き回ってるの。

1時限が45分でなくて、70分もあるんだけど、退屈しないの。先生もひとりの子にかかりっきりになっちゃたりして。。。

 

そんなことで学校が大丈夫なのかしら。いつになっても字が書けない子や2年生になっても一桁の計算ができない子ができてしまうかなと思ういっぽうで、茶の間のような学校に憧れたことを思い出す。

 

(1)サッチャー改革以前の学校

 

日本の場合は明治維新になっていきなり全国的に小学校が作られ、それまでの寺子屋教育とは縁を切ってしまった。イギリスの場合はずーとつながっていたと見ていいだろう。

 

1880年の教育法によって、5歳から10歳までの義務教育制度が実現されたが、それまでと同じく教会の中に慈善事業のひとつとしてあった寺子屋式の無償の学校がそのままで、制度化されたようなものであった。

 

1944年の教育改革

英国では1880年の義務教育制はその後いくつかの段階を経て、1944年の教育改革によって、第2次大戦後の基本的な枠組みが成立した。

 

1. 5歳から15歳までの無償の義務教育の保障。

2. 多くは教会立の学校であったが、それを公営のものとして政府の統制下に組み込み、同時に地方教育局が管理する 公営学校を作った。

3. 幼児学校から地域センター、18歳までの延長教育までの多様な教育をすべて「地方教育局」の管轄とした。

4. 初等教育、中等教育のすべてを地方教育局が責任を持って提供し、管理する制度とした。政府・教育省はなんら監督・ 指示をしないものとしたのた。

5.制度の検討、改変は、中央教育諮問審議会による審議・答申に基づくとした。

 

以上の主旨の教育法によって、政府は予算措置はするが、教育の内容には口を出さないシステムが確立した。「地方教育局」(LEA)は、地方自治体からも独立した組織で地方教育委員会が独立の事務組織も持っていると考えるといいかと思う。この地方教育局が大きな権限を持っていたが、その権限は校長・教員に下ろして、大幅に各教員が自由に教育できるシステムであったようだ。

 

(2)1988年のサッチャー教育改革の特徴

 

サッチャー教育改革は、ひとことで言えば、公教育に統一学力テストを導入し、テスト結果を公表することで学校を競争させ、親に好きな学校を選ばせる、という「市場原理」を教育に適用したものであった。

 

すなわち、地方分権型を取っていて、統一のカリキュラムや統一教科書、全国テストといったことを、ほとんど考えたことがなかったイギリスの公教育を中央集権型へと大転換させたのだった。そして、「競争させるに限る」といったサッチャーらしい結論に達したのだ。

 

率直に言えば、サッチャー首相の目的はただひとつ、子供たちの「学力の向上」であった。これから知識社会を迎えるに当たって、「イギリス病」すなわち、経済の停滞、失業者の増大、無気力な若者、これらの原因は教育にある、教育レベルの向上こそ急務であるとした。

 

サッチャー首相は何度も「日本に学べ!」と言った。そして日本に視察に行かせて、「学習指導要領」を研究させ、中央集権的な統一カリキュラムを、一斉指導を研究させた。

 

イギリスの教育は、総合学習、体験学習が多かったが、基礎学力がないと言って、読み、書き、計算などの訓練を強調した。

 

1)全国共通のナショナル・カリキュラム

イギリスには全国共通のカリキュラムはなかった。だいたい教育のすべてにわたって統一とか全国とかいった考えそのものがなかった。確かに生徒の学力は外国と比べても低く、また経済界からも成人の一般常識・知識不足が言われていた。

 

そこで、「日本に学べ!」とばかりに、日本の学習指導要領を参考にして、教えるべき内容を標準化し、望まれる学力水準を明確に示すことにした。

 

義務教育で教えるべき内容が明確になった。以前は教師によって指導内容がばらばらで、教師のあたりはずれが大きいと言われた。それぞれの教師が独自性を出すあまり、基礎学力の指導がおろそかになりがちだとも言われた。親たちは「教育の透明度が増した」と評価した。

 

各学年、各科目の到達目標がだんだん詳しく規定され、さらに、生徒個々の成績到達目標を立てるほどになっていった。

 

2)統一学力テストの導入

イギリスにはもともと次のテストがあった。

中等教育への配分テスト(イレブンプラス・テスト、11歳で)

セカンダリー・スクール卒業年度のテスト(一般中等教育資格試験、16歳で)

大学入学資格のテスト(Aレベルテスト、18歳で)

 

それに加えて新たに始まった全国テスト。

7歳で受ける全国テスト、

11歳で受ける全国テスト、

14歳で受ける全国テスト、

よって、大学進学希望の場合は6回も全国テストを受けなければならなくなった。

 

3)学力テスト結果の公表と親への学校選択権の付与

11歳テスト、16歳テスト、18歳テストの3つについて、毎年12月に「リーグ・テーブル」(学校成績順位一覧表)が発表され、新聞各紙は16ページにもわたってそれを掲載する。その日ばかりは子供を持つ親たちは新聞を買いに急ぐ。そこには全国のすべての学校が地区別に成績順に並んでいるのである。

 

統一学力テストの成績で学校をランク付けするという冷徹な市場原理を教育に持ち込んだ。それはイギリスの教育界に「カンフル剤」を注入する役割を果たした。学力テストの結果は、学校を成績順の並べて発表され、それは新聞各紙に大きく掲載され、大きな話題となる。「ワースト・スコア―」として、最低の学校も報道される。

 

親はそれをよく見て、子供の入学先を決め、または転校先を決める。点数の悪かった学校は生徒が減る。予算は生徒数によって配分されるので、教員もどんどん減らさざるを得ないし、テコ入れがなされる。場合によっては廃校になる。

 

「ベスト・スコア―」校のある地区は地価が高騰し、経済的に豊かな住民でないと住めないといったことも起こってきた。

 

4)学校の自治の保障

イギリスの学校は昔から「ガバナー制度」といって、校長と教師、親、地方教育局職員、地域の代表で構成される「学校理事会」が運営に当たっていたが、これをさらに強化し、校長人事から予算の組み方まで学校運営のすべてを「学校理事会」に任せた。校長・教師の採用権が学校理事会に移譲された。

 

そうして採用されると、校長も教師も「発言の自由」が保障された。その気になれば、行政批判も率直に、辛辣にやれるようになった。

 

また、教師の給料も上げ、教員数も増やし、補助教員も増員し、小学校に「30人学級」を実現させた。一定の達成基準を満たした教員には、年2000ポンド(40万円)の超過給与が支払われた。

 

最大限の権限と責任を学校現場、校長に与えたと言ってもこれは、学校に「アカウンタビリティ」(説明責任)すなわち、住民に対して質の高い公教育を提供する責任と義務を求めたことになる。その責任が果たせない場合は退任せざるを得ないわけである。

 

5)学校査察機関の設置

「教育水準局」を設け、多角的な学校評価を専門的に行う。アカウンタビリティの遂行、すなわち、学校は約束しただけの説明責任を果たしているかどうかを厳しく査察された。

成績の上がらない「失敗校」は改善命令が出されたり、閉鎖を命ぜられるといった厳しさであった。

 

サッチャー教育改革は、続く労働党内閣にも引きつがれ、政権の最重要課題として、さらに強く推し進められている。

 

(3)成績の急速な向上

 

手元にある資料で成績が向上したかどうかを見てみよう。

1)11歳児の到達目標達成児の割合

1996年 1999年 2001年
英語 56.3% 69.7% 77%
算数 53.2% 68.2% 75%
科学 60.6% 77.9% 89%

 

これを見ると確かに順調に、どの科目も急速な向上が見られる。これではサッチャーから受け継いだ労働党政府も自慢げに「教育!教育!教育だ!」と叫ぶはずだ。

 

2)セカンダリー・スクールの成績の向上

1988年 1993年 1997年
5科目以上のA~C獲得者: 32.8% 43.3% 46.3%
5科目以上のA~G獲得者: 79.3% 85.6% 87.5%

 

ご覧のように、上の方の5科目以上合格点の生徒が45%を超え、下の方の成績中級者も成績の向上が見られる。

 

サッチャー内閣も、メージャー内閣も、続く労働党内閣も改革の方向に間違いはないとして、いっそう強力に改革路線を推し進めているのも無理はないであろう。

 

(つづく)

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