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サッチャー教育改革の功罪(4)

Posted on 2014年12月1日

「サッチャー教育改革」の大失敗(1)

 

イギリスの教育は、地方に、校長に、担任教師に任されていた。それをいきなり1988年に「新教育法」を通し、全国統一のカリキュラム、統一試験、試験結果の学校順位の発表、父兄の学校選択の自由、困難校の整理と、「市場原理」を教育現場に適用した。

 

すなわち、地方分権型教育から中央集権型教育への大転換をはかった。各地方教育局、校長会、教員組合などには何の相談もなく、一気にこの体制を、生徒に、教員に、父兄に、社会に押しつけた。これこそイギリス病、経済の低迷、子供の学力不振を克服する名案だとして。

 

●1.大きな教育効果があったのか

 

政府は大きな教育効果があったと発表してきたが、やがて、そうではないことが明らかになってきた。いつも前年と比べての成績の上昇を見てきたが、試験問題が年々改善されて難問が減ってきたことを入れてなかった。過去のすべての年度の平均を基準にすると、成績の上昇はゆるやかになり、やがて足踏み状態になった。

 

PISAの国際テストの成績を見ても必ずしもイギリスの成績は良くない。「読解力」の大ざっぱな順位は、2000年―2003年―2006年―2009年の成績が、9位―(採点不能)―17位―25位で、日本の8位―14位―15位―8位より悪いし、だんだん落ちてきている。「数学」「科学」は日本の方がはるかに良い。

 

●2.校長・教師の状況はどうなったか

 

過去の国際テストと同時に行われたアンケート調査では、欧米の校長・教師は、イギリスも含めて、ストレスが少なく、例えば、校長への「教育委員会や父兄からストレスを感じますか」に対して、「はい」がヨーロッパでは4%前後で、日本では30%を超えていた。大きな相違があって、ストレスはない状態であった。

 

それがこの教育改革によって、毎日の授業プランを校長経由で地方教育局に出す、提出書類が間に合わなくて、仕事を家に持ち帰ることが多くなった。中央政府からの通達が2.5日に1度で多く、大きなストレスを感じるように変わってしまった。

 

教員へのアンケート調査でも「テストは生徒のためになる」7%、「テストはカリキュラムを狭める」88%といった状況で、4つの教員組合といくつかある校長会のすべてが現体制への反対を何度も表明した。また、毎年大量の校長・教師が辞職するようになった。

 

困難校のレッテルが張られた学校では校長は辞めさせられ、教員もほとんどはほかへ代わるか辞めた。また、テスト主義と雑用の多さについていけないとして、年配の子育て経験のある、優秀な教員がどんどんやめていった。

 

こうして、深刻な校長不足、教員不足が起こった。校長のいない学校が全英で推定1300校といったことが毎年のように報道された。さらに定年前に辞める校長が後を絶たない。公募に応募してくる候補者から採用するため、若い校長、30代の女性校長も目立ってきた。

 

●3.リーグ・テーブル(成績順位表)の悪影響

 

点数至上主義で、トップ50校、ワースト50校といった一覧表と記事が新聞・テレビを賑わせ、それが校長・教員への想像を超える重圧となった。

 

テスト科目は英語、理科、算数の3科目だけなので、ほかのテストと関係のない科目(歴史、地理、美術、技術、音楽、情報、体育など)の授業時間を減らす、テスト前の1年間まったくやらない学校が出てきた。または、3科目の補習に明け暮れる毎日といった学校が多くなった。

 

不正の摘発も多く、新聞・テレビで報道された。なにげなく補習で本物の試験問題をやってしまう、試験中に直すように先生が言う、試験後に校長が答案をチェック・修正する、出来の悪い生徒を欠席させるといった事例が見つかり、処分されたとの報道が新聞・テレビに出るといった状況だった。

 

ある年の結果では、イングランドにおいて、教育失敗校1756校、閉校246校であった。これらの学校の校長、教員、生徒・父兄はほかへ移るか、この学校にとどまるか、また世間からは色眼鏡で見られて、たいへんなことであったろう。これがもう20年も続いている。

 

●4.父母が学校を選ぶ ― 不動産価格にまで影響

 

地方の場合は通える範囲にそれほど多くの学校はないので、問題が少ないが、都市では優秀校と困難校とが年々明確に分かれてきた。優秀校は、できのいい生徒を集め、予算増により設備もよく、教員も優秀だ。教員給与も成績がいいとボーナスがつく。

 

成績低迷校は、テコ入れで役人が校長になり、若い、サラリーマン的な教員をかき集め、ゆったりした授業はなく、最低の義務であるテストの練習に明け暮れる。経済的に余裕のある家族は引っ越していき、完全な貧困地域と化してしまい、世間からは白い目で見られる。

 

●5.日々の指導法にまで干渉

 

ナショナル・カリキュラムが決まっているだけでなくて、日々の具体的な授業方法や基礎学力向上戦略などが発表されていて、毎日パソコンを立ち上げ、教育省のホームページを見れば、今日の授業の内容と進め方が参照できる。

 

「従う義務はなく、指導の自由がある」と教育技能省は言っているが、授業計画や評価についての書類を常に提出させることによって、結局、政府は画一教育、一斉指導を教員に強いていることになる。

 

従来は個別指導が中心で、生徒はある程度まで自分で目標を定め、先生の了解のもとに、それぞれが頑張っていた。先生はあちこちのグループに目を配り、参加し、楽しんでいた。その結果としては、個人差がかなり大きく、教育効果は簡単には測定できなかった。

 

教育技術省は、指導内容、指導法、評価の透明性ということを言い出して、一斉指導がよい、「日本に学べ」などと言った。そのために教員は指導目標、内容、評価といった書類を作成し、提出することが多くなり、書類に追われる生活がいやになり辞める教員が増え、補充が間に合わず、担任なしで新学期を迎えることも目立った。

 

(つづく)

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