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「『英語教育誌』誌(大修館書店)批評」(その21)(小学校『外国語活動』発!授業作りへのヒント)

Posted on 2015年7月13日

(1)『英語教育』(大修館書店)2015年7月号の「特集1」は、表記のようになっています。私はこれを見て、「順番が逆ではないのか」と不思議に思いました。長い歴史と伝統のある“中学校の英語教育”が、うやむやのうちに始まってしまった『小学校の外国語活動』から、「ヒントを学べ」というのは、私には納得出来ないからです。

 

(2)“異言語の学習”という難題を考える場合に、中学校の英語教育を軽視してはならない、と私は思うのです。異言語の学習に関して、一般の人たちが考えそうなことは、「英語の学習はなるべく早く始めたほうが良い」ということでしょうが、日本人が日本語の環境の中で、異言語を習得するのは、そう簡単なことではないはずです。

 

(3)そのような問題はともかくとして、まず7月号の特集記事を読んでみることにします。最初の記事は、粕谷 恭子「その先の小学校英語教育のために:いま『外国語活動』でできること」ですが、私にはよく分からないタイトルです。いつ小学校の『外国語活動』が、“英語教育”になったのでしょうか?粕谷氏は、小学校の英語が教科化されたことを前提として話を進めていますが、それで良いのでしょうか?

 

(4)たまたま、私の手元に政府・自民党寄りとされる『産経新聞』(平成27年7月4日朝刊)があります。トップ記事は「学習指導要領解説書の在り方」で、「道徳教科書対立意見を併記―国の定義『歴史共同体』」と報じています。しかし、“道徳の教科化”は「3年後の平成30年度以降」としています。どんな科目にしろ“教科化”は簡単に出来るものではないのです。その理由を述べることは、ここでは割愛いたしますが、特集記事についてはは、失礼ながら寸評を加える程度に留めさせて頂きます。

 

(5)久埜 百合(元中部学院大客員教授)「子どもの学びの姿に寄り添う授業つくり」。特に英語の“音”についての留意点を述べているのは良いことだと思いますが、これはどの段階でも必要なことです。英語の学習について思い出を語る機会があると、多くの日本人は、無理に暗記させられた“文法用語”や、“単語数”のことを思い出すようで、発音に関する印象はとても弱いのです。“発音のことは印象に残るほど強く教えられていない”と推測出来ます。

 

(6)Paul Inker(湘南白百合学園小)「身の回りの話題で教材作り」。写真入りで分かりやすい記事ですが、多忙な教師がどこまでこのような実践が出来るか疑問に思います。試みる価値はあるでしょうが、学期末や学年末には成績をつけるとなると、小学生の頃から“英語嫌い”を生み出してしまわないか、と私は心配になります。小学生から英語を教えるのは、条件の恵まれた一部の私立学校ならば可能だと思いますが、憲法の保証する平等の権利のことを問題にする人も出てくるでしょう。日本では、“エリート教育”には、抵抗がとても強いのです。

 

(7)有友 敬子(岡山市立石井小)「表現の楽しさを共に創る授業づくりと評価」。“桃太郎”のように、どの生徒の知っている話を素材にして、その役を演じさせる方法は、特に低学年には有効だろうと思います(この学校のある岡山は特に“桃太郎”とは縁が深いとのことです)。しかし、“ループリック表”とか、“ループリック評価”のような、多くの英語教師が知らないと思われる用語については、もっと丁寧な解説が必要だと思います。

 

(8)田中 真理(佐倉市立根郷小)「身体で英語を楽しむ 特別支援学級での外国語活動」。何らかの“発達障害”を持つ生徒たちへの英語教育の実践報告です。こういう記事は、「特集」ではなくても、より多くのページを使って、分かりやすく解説する必要があると思います。私は、英語学習が不得意な学生の多い、理工系の学生を教えたことがありますが、リズム感のある“ジャズチャンツ”のような教材を使って効果をあげている同僚から多くのことを教わりました。この記事にも教材については言及がありますが、もう少し丁寧な説明が必要でしょう。

 

(9)鬼丸 晴美(明星中学・高校)「多聴多読による言語活動の活性化」。英語をたくさん聴かせる、読ませるための実践に何が必要かを解説した記事です。各種助成金の獲得方法も述べてありますから、「やってみよう」とする学校にはとても参考になるでしょう。私としては更に一歩突っ込んで、その際の問題点を論じて欲しかったと思いました。

 

(10)畑江 美佳(鳴門教育大)「小学校でどのように文字を導入するか:Hi, friends!の補助教材から考える」。幼い生徒が、母音、子音など、日本語と違う音声をいかに聴き分け、発音出来るようになるかについて、実証的に論じているもので、その意図と方法については同意出来ます。ただし、(9)の場合と同じように、どこまで実践が可能かについては疑問が残ります。終りのほうで、「バランスト・アプローチ」といった表記がありますが、カタカナ書きだけではなく、英語(balanced approach)を併記すべきでしょう。

 

(11)特別寄稿として、小林 万里子(文科省初等中等教育局国際教育課長)「文部科学省による小学校英語教育への支援策について」という記事があります。文科省が、「小学校の英語教育」と述べているのですから、私が最初の方で表明した疑念は吹き飛ばされてしまいました。反対論が多くても、一切無視して、粛々と、“小学校英語教育”を推し進める姿勢は、安倍政権のやり方と同じです

 

(12)本号の第2特集は、「アクティブ・ラーニングに向けて:論理的思考力を育む英語指導」です。“アクティブ・ラーニング”については、文科省の用語集に解説されているそうですが、重要な用語を次々と自作して、「英語教育はこのように実践せよ」という姿勢は、やはり安倍政権方法に似ています。こういう重い特集を2つ続ける意図が私には分かりません。私は、「高度な英語指導の技術論はするな」という言意味ではなく、重たい記事は各号に分散して掲載したほうが読みやすくなる、と言いたいのです。(この回終り)

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