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浅野:英語教育批評:「わかる」ということ

Posted on 2007年5月21日

 25年も前のことだが、坂本賢三『「分ける」こと「わかる」こと』(講談社現代新書、1982)という本を読んで、「わかる」を「分かる」と書くことに意味があることを知った。この書物は、「新しい認識論と分類学」という副題がついていて、「対象を分ける」ことが「わかる」に通じることを出発点としている。確かに、動物学や植物学の基本は「分類」である。でもコトバの問題として考えると、「分けること」がすなわち「わかること」とはならないから厄介だ。「ネコ」のことを「哺乳綱食肉目ネコ科に属する動物」と知っても、「ネコを理解した」ことにはならないであろう。英文法の指導で、「名詞の種類」とか「自動詞と他動詞」のように分類してみせたからといって、英語が「わかった」ことにはならない。
 したがって、コトバの教師としては安易に「わかる」を連発することは慎みたいと思う。昔、私自身が教育実習で ”Do you understand?” という教室英語を使ったら、附属高校の指導の先生から、「そういう質問は意味がないから使わないほうがよい」と注意されたことがある。確かに、生徒が “Yes.” と答えたからといって、何がどうわかったのか確かめない限り意味がない。片岡義男『英語で言うとはこういうこと』(角川書店、2003)では、「ね、わかるでしょ」に当たる英語として “Well, you get the idea.” を示している。どの場面でも使えるとは限らないが、この日英語の違いを考えておきたい。
 受験参考書のタイトルには、「よくわかる」とか「徹底理解」といった言い方が目立つが、英文法の本であれば、「完全にわかる」といったことは不可能だと思う。「文法なんてよくわからないものだよ」と言ってやったほうが、多くの受験生は荷が軽くなるのではないか。それでもあきらめずに、3年、4年と英語そのものに触れていると少しは「わかってくる」というのが事実だと思う。
(浅野 博)