言語情報ブログ 語学教育を考える

「英語教育批評」(その77)(気になる“発音”のこと)

Posted on 2013年8月28日

「ドラマの題名とアクセント」のこと

 

(1)「英語教育」の10月号が出るまでに少し時間がありますから、最近テレビで耳にする“発音”のことを書くことにします。発音について文字で論じるのは分かりにくいことになるとは思いますが、限界を意識しながらあえて書いてみます。

 

(2)現在のNHK の朝のテレビ小説「あまちゃん」が始まった頃、「この題名はどこにアクセントを置いて言えばいいのかしら?」と、「あまちゃん」に続く番組“あさイチ”のキャスターたちが話していました。英語と日本語ではアクセントの定義が少し違いますが、常識的な程度は広辞苑の説明でもわかりますから、関心のある方はそれをご覧になってください。

 

(3)“海女”(あま)は「ア」が強いですが、番組の題名(あまちゃん)の場合は、「マ」を強く言っているようです。アナウンサーとしては悩むのは当然かも知れません。しかもヒロインは、実際に“海女”になったり、アイドルになろうと努力したりしていますから、話の筋からは判断しにくいのです。「アマチャン」の「マ」を強く言うと、「甘ったれた人間、特に子供」を意味したりしますから厄介です。

 

(4)「少年H」という映画が8月10日に封切られて、大勢の観客を集めているようです。原作者は妹尾 河童(せのお・かっぱ)氏で、第2次大戦中から戦後の神戸を舞台に語られる庶民の生活を描写しています。私は映画をまだ見ていませんが、原作はかなり前に読んだことがあります。こういう映画の題名などは、「少年エッチ」ではなくて、「少年エイチ」と発音してもらいたいものです。アナウンサーの中にも、「エッチ」と読む人がいました。「エッチ」は「へんたい(変態)」のローマ字表記からから来た和製英語ですから、この映画の題名には相応しくありません。

 

「正確な日本語を話すこと」について

 

(1)以前に「極めて正確な日本語を話す人」の例として、TBSラジオに出演(月~金の22時から約3時間)している荻上チキ氏のことを書きました。相変わらずきちんとした日本語を話していますが、ある読者から、「女性ではそういう日本語を話す人はいないのでしょうか?」という質問を受けました。私の知る限られた範囲でのことですが、NHK の小野 文恵アナウンサーを挙げたいと思います。人気番組である「家族に乾杯!」や、「ためしてガッテン!」などの司会役をやっているアナウンサーです。派手さはありませんが、控え目で、しかも要点を的確に掴んだ発言をしていると思います。

 

(2)最近の民放は(この点ではNHKも似たような面がありますが)、相も変わらず「食べ歩き」の番組が多いですが、若い女性タレントやおばさんタレントたちが、鼻声で、「おいしい~」とか、「外はカリカリ、中はジューシー」などとうなっています。彼女たちの限られた語彙と表現力を耳にすると、日本語の将来も希望がないな~」と嘆きたくなります。テレビ番組の創造性の無さが、日本語の将来をダメにしていると思わざるを得ないのです。(この回終り)

「英語教育批評」(その76)(“リーディング”の再考)

Posted on 2013年8月15日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2013年9月号の特集は、「『質・量充実』時代のリーディング指導をどうする?」となっています。私はまず、「『質・量充実』時代」とは何だろう」と疑問に思い、どこかのスーパーマーケットかファミレスの宣伝文句ではないかと、皮肉の1つも言いたくなりました。それとも、「質・量充実の時代であること」は英語教育では常識なのでしょうか?

 

(2)最初の記事は、卯城 祐司(筑波大)「英語リーディングの質と量―生徒は本当に英語を読んでいるのか?」で、センター試験や教科書の英文の量について、指導の仕方が予習などの勉強方法に影響することが大きいことを指摘しています。つまり「次の授業では20行しか進まないと分かれば、ほとんどの生徒がそこだけしか読んでこない」ということで、これなら私にも身に覚えがあることで、よく理解できます。その他の指摘も適切なものだと思います。

 

(3)2番目の記事は、大里 信子(東京学芸大附属小金井中)「教科書の理解を助ける効果的な補充教材」で、中学校での実践例を、文字の認識からパラグラフの理解、物語や説明文の読みへと段階を踏んで、丁寧に解説しています。分かりやすい実践例だと思います。そうした実践を阻む問題点にも言及してもらいたかった感じがします。

 

(4)本号の「特集」の文言をそのまま使った記事は、藤田 賢「三重県立神戸高校」「『質・量充実』時代のリーディング・テストで大切にしたいこと」ですが、最初に次のようなことを述べています。

「英語の書き物を受動的に摂取することが中心であった時代と違い、テキストの「量」が増大し、「質」が多様化しており、読んで理解したら終りではなく、読んだことに基づいて発信する必要がある」(p. 32)

 

(5)これを読んで私はやっとこの特集の意味が分かってきたような気がしました。しかし、「テキストの量が増大し…」というのは事実でしょうか。高校の英語の科目はしばしば改訂されますが、学習指導要領の姿勢が本質的に変わらない限り、教科書の分量が著しく増えることはまず考えられません。高校授業料の軽減措置もまだ不確定な要素が多い状態ですし、奨学金が多少増えても、教科書の分量とは関係ないことだと思います。

 

(6)「日本の中高生の多くは、高校、大学の受験勉強はよくするけれども、長い英文のテキストを読破するようなことは極めて少ない」とは、かなり以前から言われてきたことです。アメリカの高校生がレポートを書くのに何百ページもの資料を読むのに比べて、日本の教科書の貧弱さは過去も現在も大きな問題なのです。

 

(7)本号の「編集後記」を読みますと、上述のような英語教育に関する時代的な変遷を少し語っていますが、視点は“リーディング”にあることが分かります。それならば、「特集」のタイトルも、「グローバル化時代の英語教育で、リーディング教材の質を高め、量を増やすためにはどうすれば良いか?」くらいの言い方をしてもらったら、分かりやすかったのにと思います。「英語教育」誌の読者は、経験の浅い教員もいれば、全く経験のない英語教員希望者もいることを忘れないでもらいたいと思います。(この回終り)

「英語教育批評」(その75)(“英語の常識”の再考)

Posted on 2013年7月31日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2013年8月号は、「クイズで確認―知っておきたい英語の常識」を特集しています。英語教師にとって、何を、どの程度知っていることが必要かを厳密に決めることは容易なことではありませんが、「この程度は常識ですよ」と示すことは無意味ではないと思います。

 

(2)最初の記事は、町田 健(名古屋大学)「辞書に載っている一番長い単語は?」ですが、「記事全体では、これが“常識”かな?」と疑問に思う人も少なくないのではないでしょうか。私などは、第2次大戦中に旧制の中学生でしたが、2年生の頃、先輩から、「“smiles” が一番長い単語だよ。“s” と“s” の間が1マイルも離れているのだから」と教わったものです。これなどは、どうでもよい冗談話ですが、生徒は結構喜ぶものです。

 

(3)町田氏の記事では、そういう話ではなく、映画『メアリーポピンズ』で使われた34文字の単語(呪文のようなもので無意味)を紹介したり、45文字の医学用語を挙げたりしています。こんな単語を“常識”だと言われても読者としては戸惑うばかりです。もっと中高生にも使えるような“常識”を示して欲しいと思います。

 

(4)田中茂範(慶応大学)「[ 時制・冠詞・動詞の使い分け] an angry Obama と言えるか?」も英語学習の初級者には極めて難しい問題です。最初の例は、遊びに行った子供がやっと帰って来たので、親が「心配していたのよ」と言うような場合の応答として、「ごめん、ずっと公園でサッカーをしていたんだ」と言いたければ、「次のどれが適切でしょう?」という問題になっています。

① Sorry, I was playing soccer in the park.

② Sorry, I’ve been playing soccer in the park.

③ Sorry, I played soccer in the park.

 

(5)田中氏の解説では、② が正解となっていますが、私は① が適切だと思います。子供の年齢にもよりますが、“Sorry I’m late for dinner, Mom. I was playing soccer in the park.” (お母さん、夕飯に遅れてご免なさい。公園でサッカーをしていたので)などと言うでしょう。現在完了進行形では、家に帰ってもサッカーをしているような状況になってしまいます。

 

(6)脇山 怜(元東洋学園大教授)「英語で『電子レンジでチンする』は?」は、英語そのものは決して易しくはないですが、生徒にとっては日常生活で聞いたり、使ったりしている表現だけに、「それを英語で何と言うか」には興味を持つ者が少なくないと思われます。しかも、こういう英語はいつまでも覚えているものです。

 

(7)奥津文夫(和洋女子大名誉教授)「First State とはどの州のこと?」も、生徒が関心を持ちそうな話題を提供しています(正解は Delaware )。「Bill は次の何という名前の愛称でしょうか?」(William/ Benjamin/ Richard)という問題から(正解は William)、英米人の名前の由来を少しずつ学ぶことも意義のあることと思います。以前にも言いましたように、こういう知識は、生徒の興味や関心、学力に応じて、少しずつ与えること、「テストに出すぞ」などと言わないことが大切な配慮です。

 

(8)記事の数が多いので、後は割愛させて頂きますが、音声学、英米文学、などかなり専門分野に属する記事もあります。編集者へのお願いとして、小中レベル、高校レベル、高校大学レベルなどに程度を分類して提供してもらえると、もっと利用しやすい特集になったであろうと考えます。(この回終り)

「英語教育批評」(その74)(“英語教育環境”の再考)

Posted on 2013年7月12日

「カタカナ語の活用とその弊害」再考

(1)私は持論として、“カタカナ語の氾濫”とか、“妙な英語混じりの歌”などが、英語学習環境を破壊していると主張してきました。しかしながら、そういう要因を法律で禁止することは不可能でしょうし、そんなことをしたならば、弊害のほうが大きいであろうと想像することも出来ます。

 

(2)そういう要因を逆に利用しようとする試みもあったのです。例えば、脇山 怜『和製英語から英語を学ぶ』(新潮社、1985)という本がありました。著者は長年 “Japan Times” の記者でしたが、この本では、新聞のような堅苦しい文体ではなく、ある家庭の親子や夫婦を設定して、その会話の中から和製英語をどのように言い換えたなら英語として通じるかを示してくれています。現在でもよく使われる“イメージチェンジ”(“イメチェン”とも)、“オープン戦”、“エンスト”、“カンニング”など500項目以上を解説してあります。

 

(3)カタカナは外来語を表記するには便利ですから、排除することだけを考えるのではなく、節度を持って利用していけば、英語学習者を指導する場合でも役に立つことは確かでしょう。教室では生徒のよく知っている芸能人の話などにかこつけて、正しい英語の言い方を紹介すれば、英語嫌いの生徒も興味を示してくれる可能性があります。

 

(4)例えば、“カンニング竹山”という芸能人がいます。私も彼の芸名の由来は知りませんが, 一時は、“すぐに切れて怒鳴る芸能人”として有名でしたが、俳優や雑誌のコラムニストとしても活躍していますから、多彩な能力の持ち主で、努力家でもあるのでしょう。TBSのラジオでは、政治問題もコメントをしていたことがあります。この芸名から、“カンニング”はそのまま英語にすると“cunning” で、“ずる賢い”という意味しかないことから、“cheating”という英語を教えることが出来るはずです。

 

(5)その“カンニング竹山”がある番組で、「自分は酒が大好きで毎晩飲み過ぎるので、翌朝は何キロかランニングをして、時間のある時はサウナへ行って汗を流す」と語っていました。その番組は、専門医たちによる芸能人たちの健康診断をする番組でしたから、カンニング竹山は、「すぐに止めないと命を落とす」と“ドクターストップ”をかけられてしまいました(もっとも、これはテレビ番組制作者による“やらせ番組”のように私は感じました)。ある意味で、芸能人たちは命がけで芸を売っているのです。そんな番組が多いことは視聴者も反省しなければならないと思います。

 

(6)英語嫌いの生徒でも関心を持ちそうな話題で毎時間1つでも、英語を教えるとすると、生徒はすぐに「それはテストに出ますか?」といった質問をするものです。私ならば、「テストとは関係ないよ」と答えたいですが、その判断は、日頃の指導方針と関係がありますから、一概には言えないと思います。

 

(7)最後に、脇山 怜氏の示している英語を記しておきます(ただし要約)。① “イメージチェンジをする”文字通りには、 “to change my image” ですが、髪型を変えたりする場合は、“I had a haircut just for a change.”などが良い。② “オープン戦”は、プロ野球で正式なリーグ戦が始まる前の“練習試合”のことですが、英語では、“an exhibition game”。③ “エンスト”は、たまに “My car’s engine stopped.” と言う人もいますが、“My car’s engine stalled/ died.” などが普通。

 

(8)言葉は複雑で、一筋縄ではいきません。英語教師は常に視野を広くして、様々な情報を身につけるように努力しなければなりません。その上で、「教え方」も学ばなければいけないという大変な職業であることを自覚しなければならないのです。(この回終り)

 

「英語教育批評」(その73)(英語教員の養成)

Posted on 2013年6月21日

(1)「英語教育」(大修館書店)の 2013年7月号の特集は、「これからの教員養成・教員研修」です。私がまず思ったのは、「特定の教科に関係なく、広く“教員養成”のことを論じているのであろう」ということでした。「英語教育」誌でも、間口を広げて、教員養成全体の問題を取り上げることは構わないからです。ところが、中味の記事は、「ビデオを用いたフィードバック―大人数にオーラルイントロダクションを実践させる工夫」、「英語運用力アップの英語集中演習」「地方私大における英語教員養成」と続いているのです。

 

(2)そうであれば、最初から特集のタイトルを「これからの英語教員養成・研修」とすべきだったと思います。それぞれの記事は、執筆者の経験や考えを真剣に述べているのですから、違和感を覚えるのは、編集者の責任のように思います。そこで、最後に掲載されている金谷 憲(元東京学芸大)「教員養成・教員研修への提言」を読んでみましたが、「どうしてこういう記事を最初に載せないのであろうか」というもう1つの疑問が湧きました。

 

(3)金谷氏の記事は、英語教員の養成や研修を対象に考えているもので、冒頭に「日本にはプロの英語教師を育てるシステムがない」と書いてあります。私はこういう指摘には大賛成です。なぜならば、これまでの文部行政は、「教育は大事だ」と言いながら、学習指導要領で教員の自由を縛り、人員とか教材には十分な予算をつけないという方針が続いているからです。

 

(4)金谷氏は、「何年もならっているのに英語を使えるようにならないという批判は、大昔(明治時代)から学校英語教育に対して、一貫して向けられてきている」として、その際は英語教師が悪者にされてきたという趣旨のことを述べています。現在の自民党内閣になっても、この姿勢は変わるどころか、より強固なものになっています。なにしろ、安倍首相は、第1次安倍内閣の頃、「教育基本法さえ変えれば、悪い教員を辞めさせられるのです」と述べた人物です。

 

(5)その首相は組閣を終えると、「適材適所に有能な人材を配した」などと言います。もっとも、この点は、教員にも反省すべきことが多くあります。「あの先生はえこひいきをする」というような噂は昔からよく聞かれたものです。“感情の動物”と言われる人間には、完全に理性的に他人を評価することは非常に難しいことですが、少なくとも努力はすべきことだと思います。

 

(6)特集の記事に、鈴木 泉(盛岡市立仙北中学)「仲間との学び合い・高め合い―地域における英語教員研修」がありますが、私はここに述べてあるような研修の在り方に反対するつもりは全くありません。ただ、欲を言わせてもらえれば、こういう運動を進めて行こうとすれば、何らかの大きな障害にぶつかるはずで、「何故そういう障害が生じるのか、それを除去するにはどうすればよいか」といった意識に触れて欲しかったと思います。

 

(7)批判精神というものは、ほっておいて育つものではありません。やはり教育の場で育てるべきものだと思います。これからは、TOEIC、TOEFL などの受験対策に追われることになる高校生に、批判精神などますます育ちにくくなるでしょう。まず英語教員が批判的な意識を持って指導に当たる覚悟が必要なのだと思います。(この回終り)