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浅野:英語教育批評:英語を話すということ

Posted on 2006年9月21日

 NHK の「英語でしゃべらナイト」は良い番組だ。でもこのタイトルは気に食わない。NHK は昔から、「お笑いオンステージ」とか「二人のビッグショー」とかカタカナ語を組み合わせた題名が好きだが、「しゃべらナイト」は“お寒い”だじゃれだ。
 良い番組と思う理由の1つは、日本人だって結構英語が話せるではないか、という自信を与えてくれることだ。それぞれの道で懸命に努力している日本人が英語を使ってその思いを語る。難しいところは日本語にもなるが、英語のナレーションがその隙間をかなり埋めてくれる。そして、大事なことは、一芸を極めんとしている人物は語るべき内容を持っているということであろう。日本語でもろくに話せない生徒に、英語で語らせようとしてうまくいかないもどかしさを感じている教師は少なくないと考えられる。
 女子ゴルファーの宮里藍さんは、インタービューの発言にまとまりがあってうまい。英語も話せる人だ。話し方が型にはまっていて個性がないという批判もあるが、何を言いたいのか判らないよりはるかにましだ。日本語と英語という関係になると、角行之『日本語のうまい人は英語もうまい』(講談社+α新書、2003)を思い出すが、「思考と言語とは無関係」(p. 63) など少し思い込みが強いところがある。有益な忠告も少なくないが、ちょっと鼻につくところもある。私は、荒木博之『日本語が見えると英語も見える』(中公新書、1994)を推したい。この著者の要求するレベルはかなり高いが、日英両語の「言語感覚」を鍛えることは日常の英語授業で目標にしてもっと努力すべきだと思う。
(浅野 博)