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浅野:英語教育批評:「話すこと」の訓練——温故知新の巻

Posted on 2006年11月27日

 コミュニケーション重視で、中・高の英語では「会話練習」が盛んだが、これには厳しい批判もある。齋藤孝・斉藤兆史『日本語力と英語力』(中公新書、2004)はその代表だ。中・高では「基礎を踏まえた厳しいトレーニングの延長線上に、はじめて楽になる一瞬は訪れるという上達の法則」を教えろと主張する。問題は生徒の意欲であろう。「買い物ごっこ」には喜々として興じる生徒も、「厳しい基礎訓練」だと脱落することが多い。
 私が50年前に、フルブライト教員プログラムに合格した時は、東京地区では夜間に十数回のオリエンテーションを行ってくれた。その時のテキストは、A. B .Howes & M.M. Smythe:Intensive English Conversation, Vol.Ⅰ(開隆堂、1953)だったが、非常に変わった会話書で、会話文は一切なく、各課2ページくらいの本文は、アメリカにいる日本人学生が、日本の友人に宛てたイディオムの豊富な手紙文になっている。トピックは当時の日本人に珍しいアメリカの風物が中心で、その手紙文についての英語の質問が10問ほどついている。アメリカ人の講師は、その質問を中心に受講生と“会話”をしてくれた。本文の3倍くらいの部分がすべて英文で、発音、文法、イディオム、会話などに関する解説や注意である。B6版 80ページほどの小冊子で、写真も挿絵もないが、内容の濃いものだった。出発直前で動機付けは十分だったし、この訓練は実際にアメリカでは役だったという実感がある。
 今日の中学用検定教科書は、すぐにアメリカや英国へ行くという生徒には役立つかもしれない。もっとも、視点が英米以外へも向いているから一概には言えない。日本の英語教育はどこへ向うのであろうか。 
(浅 野 博)