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浅野:英語教育批評:○○の授業では何を学んでいるの?

Posted on 2006年9月27日

 「だったら、日本人は○○の授業で12年間もいったい何を学んでいるの?」という文を見たら、多くの人は「英語の授業だ」と思うかもしれない。でも、「12年間」というのは数が合わない。実は、これは、三森ゆりか『外国語で発想するための日本語レッスン』(白水社、2006)という本からの引用(p.45)である。
 この書物のタイトルはちょっとわかりにくいが、著者の言いたいことは、「日本人も欧米式の言語教育を(日本語で)受ければ、少なくとも欧米の言語を学ぶことが、もっと楽になるはず」ということである。「欧米式の言語教育」とは、「テクストの分析と解釈・批判」を目標にしたもので、英、米、ドイツ、フランス、スペインなどでは、小学校からこういう読書術を教えると著者は言う。日本人のためのその実践例が「日本語レッスン」である。
 著者の友人であるドイツ人の先生は、日本の大学生や院生に小説を読ませて、議論をさせようとすると、学生たちは「印象」は語れるが、論理的な分析や批評ができないのであきらめざるを得ないと言う。そして、そのドイツ人が、著者から「日本ではそういう読書術は教えていない」と言われてもらした言葉が、冒頭の引用文である。つまり「小・中・高の国語の授業は何をやっているのか」というわけである。
 そこで、村上愼一『なぜ国語を学ぶのか』(岩波ジュニア新書、2001)を読んでみた。高校生との対話の形式をとっているが、どうももって廻ったような言い方が多く、すっきりと読めない。「論理的な文章とは」という節では、論理学の用語(帰納、演繹、弁証法など)の解釈に終わっていて、これでは論理的な話し方は学びにくい。三森さんの言うことは正しいと思わざるを得なかった。
(浅野 博)

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