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浅野:英語教育批評:「文学教材」のこと

Posted on 2006年10月13日

 英語教育の改善については、内部からも声が上がっているわけで、「英語教育」(大修館書店、2004年10月増刊号)は「英語教育に文学を!」を特集した。巻頭座談会は「文学こそ最良の教材:英語の授業にどういかすか?」と題しているが、英語教材は学習の段階と目的に応じて多種多様化するのが当然で、「文学が最良」は言い過ぎではなかろうか。「文学作品こそ言葉の使い方の見本だ」とはよく聞くが、それも作品によると思う。
 文学に理解のない人間が外国語教育の行政を進めているとの批判もあるが、そういう人たちも少し昔の英語教育を受けたわけだから、英語教師にも責任があるのだ。自分の好きな作品を使って、学生の理解度とは無関係に、一人で悦に入っている授業も少なくなかった。「英語青年」(研究社)は、2002年に2回「英文学の教え方」の特集をしたが、アンケートの回答に描かれた考え方、教え方は実に変化に富んでいる。こういうものを読んで、学生の大多数である非英語専攻者への教え方を工夫しようとする大学教員は果たして何人いるのであろうか。
 私は小学生の頃から、小説を読むことは授業とは別のものと思っていた。「後でテストをするぞ」などと言われたら読む気を失くしただろう。宿題などほったらかして、当時の少年少女小説(文学ではないものもあったろうが)をよく読んだ。わからない語句があれば辞書で調べたし、興味ある話は反芻しながら空想も楽しんだ。だから国語の成績もよくなった。こういう例を一般化しろと言うつもりはないが、現在の生徒、学生たちが“読むこと”に意欲を示さないのは非常に深刻な状況であって、もっと根本的な対策が必要なのだと思う。 
(浅 野 博)

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