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浅野:英語教育批評:英語教育と「学校の多様化」

Posted on 2006年11月10日

 日本人の英語学習熱が盛んな一方では、「学校の英語教育は効果があがっていない」という批判も依然として強い。しかし、批判される側から言わせてもらえば、「学校の実情をもっとわかってほしい」と訴えたくなる。実情がわかりにくい理由の1つには、学校制度そのものが「多様化」していて、全体像がつかみにくくなってしまったことがある。一般の親たちに「教育特区」「学校選択」「中等教育学校」「セルハイ」とは何かを尋ねて、説明できる者が何人いるであろうか。
 「公立の小学校でも、市や町全体で英語教育を進めている地区がある」「英語に特に力をいれている公立高校がありますよ」などと言われても、特別にわが子の進路をよく調べた親でないとピンとこないのがふつうであろう。「構造改革」の影響で、教育界にも競争原理が導入されて、各地区が独自の方法を競うようになった。教育委員会が計画し、文科省に申請して許可されれば、その地区では現行の教育課程を超えた教育内容を実行することが可能なのである(これが「教育特区」)。そうなると義務教育とか学習指導要領とかの枠はないも同然なのである。
 「子どもの将来にとっては進路の多様化は望ましい」という方針には反論しにくい。しかし、英語の授業時間が週6時間も7時間もある私立の中・高一貫校を受験して落とされた生徒は、「英語は週3時間」の公立中学しか選べない場合が多い。弱者はさらに不利になるのである。「再チャレンジ」させようと小学卒業生を浪人させれば、親は教育の義務不履行で訴えられるであろう。こういう矛盾を抱えた学校教育の実情を無視して、「学校は英語の力をつけてくれない」と言われても困る、というのが多くの英語教員の本音ではないかと思う。 
(浅 野  博)

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