言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:指導技術のこと——今日的課題

Posted on 2006年12月4日

 日英比較文化研究学会の Newsletter No. 9 には、竹前文夫氏(目白大学)の「英語の授業に思考改善の試みを」という巻頭エッセーがあって、Tannen, D.:The Argument Culture (議論文化)という本があることを知った。それで英文の書評をインターネットでいくつか読んでみた。中には「国会議員全員に送りつけたい本だ」というのもあった。アメリカ人の議論のあり方は、政治問題でもあるのだ。
 竹前氏も「ディベートの合衆国での行き過ぎを戒めている本」と紹介している。そして氏の日本の教室への提案は、(1)ディベートの背後にあるクリティカル・シンキングをそのまま導入するな、(2)学生にはそういう用語は使わずに、工夫された教材を使ってうまくドリルせよ、ということにある。
 実は、鈴木健・大井恭子・竹前文夫編著『クリティカル・シンキングと教育——日本の教育を再構築する』(世界思想社、2006)を大井氏から寄贈してもらっていたので、竹前氏の主張もよりよくわかる気がしている。指導技術というのは、理屈通りにはいかないので、いろいろ考え、改善していく努力が必要で、他人の真似をするだけではダメなのだ。
 ところで、ディベートの是非などは、日本では相当高度な問題で、一般には、国会の討議を含めて議論にもなっていないことが多い。インターネットの書き込みなどを見ても、ただ不満をぶつけているだけで、論理性など少しもないものが少なくない。もっとも、イライラしていたというだけで、放火や殺人をする人間がいる時代だから、ネットに勝手なことを書き込むくらいはまだましだと考えるべきなのかも知れない。でも、困った状況だ。  
(浅 野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.