言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:「試行錯誤」について

Posted on 2006年12月11日

 この四文字熟語は、大学生でも知らない者が増えているようだが、「試行」は「試しにやってみること」で、「錯誤」は「間違えること」だ。もちろん、それだけではなく、「うまくいかなければ、繰り返しやってみる」とか「別の方法を試してみる」といった含みがある。英語のby trial and error も同様だ。
 このことを最も実感できる場合の1つが第2言語(外国語)の学習であろう。いや、母語の習得さえも試行錯誤の結果なのだ。だから、「中間言語」という目標言語から見ると不完全なものが存在意義を持ち、研究対象になるのである。
 これは英語教育界ではとうに常識になっているはずだが、現実はそうではないらしい。「誤り」を許さない英語教師が多いようだ。「間違えること」が前提ならば、中間試験や期末試験が40点や50点でもいいではないか。野球の打率なんか、3割を超えれば立派な打者だ。ところが「複数形や3・単・現のes をつけなかった」「冠詞の使い方を間違った」といったことで点を引かれるのが英語のテストだ。こういう間違いを許したのでは、いつまでも正確な英語にならないという反論もあろうが、日頃の授業で厳しくドリルすればよいのだ。ろくなドリルもしないで、試験で厳しくするなんて詐欺みたいなものだ。(かなりドリルをしたって、完璧は期しがたいのだから。)
 教師ばかりでなく、親も試験の点数には神経質なようだ。テストの成績が悪いことを叱られると、子どもがキレて親を殺すような不幸が生じている。「試行錯誤」を許さなければ、英語の力もつかないし、不幸が広がるばかりだ。これはあまり感心しないが、安倍首相は「再チャレンジ」を謳い、過ちをおかした造反議員の復党を早々に許したではないか。
(浅 野 博)

Comments (1) Trackbacks (0)
  1. 本当におっしゃる通りだと思います!私は高校で教師をしていますが、習得段階のことを忘れて点数ばかりを気にしすぎているのではないかと、改めて考えさせられました。この点についての教師の考え方は、指導に影響すると思いますので、本当に大切な内容であると感じます。それにしても、先生の文章、単純明快ですごく気持ちよく(笑)拝読いたしました!私も先生のように、明快で素敵な先生になりたいです!!


Trackbacks are disabled.