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浅野:英語教育批評:英語教育とコンピュータ(その1)

Posted on 2007年1月15日

January 15, 2007

 「語研だより21号」(2006/12) に、草間浩一氏(武蔵高校中学)による「CALLはどこに行った?」というエッセーがある。CSI (Crime Scene Investigation) というテレビドラマのシリーズなどでは、いかにコンピュータが活躍しているかを述べ、今や日常場面でもコンピュータの利用はめざましいのに、「なぜかコンピュータを使った英語教育 (CALL) はパッとしない。結局一斉授業に使おうというのが無理なのかもしれない」と疑問を呈している。
こういう疑問は1970年代の LL(語学ラボラトリー)についてもよく発せられた。音声言語の学習に適した機器であることはわかるのだが、LL となると適切に使いこなせない教員が多かったのである。教育機器は膨大なエネルギーを発揮してくれるのだから、授業での教師の労力は軽減され、その浮いたエネルギーは、個人指導や教材準備などに廻すことができるということで、私は「教授エネルギーの分布変化」ということを唱えたものだった(拙著『LLと英語教育』東京書籍、1976)。事実、私自身は普通教室の授業よりもLL授業のほうが“楽だった”という印象が強い。
 実際には、「LLなど導入したらもっと多忙になって、大変だ」という声が強かった。それは教育管理責任者が「人」への配慮をしないからである。例えば、本を買う予算が貰えても、管理運営する「人」がいなければ図書館は成り立たない。LL もコンピュータ教室も同じなのである。ところが、「物」の予算は認められても、「人件費」は昔から獲得しにくいのである。私は、勤務先の私学でも国立でも、かなり恵まれた環境だったからよかったものの、多くの場合「金」と「人」の両立は難しい。ましてや学校管理制度がばらばらなってしまった現状では、余計に困難であろう。なお、草間氏の一文は、コンピュータの機能と授業の関係に疑問を呈しているので、このことは次回に考えてみたい。
(浅野 博)

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