言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:「そんなことは一言も言っていません」

Posted on 2007年2月26日

 これは安倍首相が、野党の質問に立腹してよく言うせりふだ。「ことば」の教師ならば、これは無理な言い訳だと気づくはずだ。「ことば」というものは、明示的に表現された以外のことは意味していないと考えるのは間違いだ。緒方孝文監訳『フロムキンの言語学 第7版』(トムソンラーニング、2006)には、「意味するのかしないのか」という一節があって、このあたりのことが勉強できる。
 比喩や隠喩ではなくても言い方で問題になることはよくある。「大企業への減税は続けます」と大臣が言えば、野党は「町工場の経営者は死ねと言うのか」とさえ言う。これに対して、「そんなことは一言も言っていません」と答えるわけだが、これは空しいやり取りだ。答弁する側には「説明責任」さえもよくわかっていない。
 前回紹介した『サミング・アップ』の中には次のような記述がある。

 イギリス人は政治好きな国民であるから、政治が最大の関心事であるようなパーティーに私もしばしば招待された。そこで出会った著名な政治家に際だった才能を見出すことは出来なかった。(p.10)

 そしてさらに、「弁舌の才というものが思考力を伴わないというのは、誰もが知るところである」とも述べている。日本では、「巧言令色鮮(すくな)し仁」(論語)ということが昔はよく言われたものだ。今は、一方的に言いさえすれば、それがコミュニケーションだと考える誤解が蔓延している。
 小川芳男先生が『話せるだけが英語じゃない』(サイマル出版会、1981)という本を出された時に、私はおこがましくも先生に、「この本は 10年早いですよ。英語が話せる生徒、学生はまだ少ないのですから」と申し上げたことがあった。先生は、「話せるようになったら、私の言うことなど聞かなくなるよ。むしろ、話せない生徒を指導している先生方に読んでもらいたいのだ」と言われた。このことでは、私は今でも自分の不明を恥じている。
(浅 野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.