言語情報ブログ 語学教育を考える

「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その1)

Posted on 2013年9月20日

(1)最初にお断りしますが、これまで私の「英語教育批評」を読んでいてくださった方は、タイトルが変わっていることに気づかれたことと思います。これまでは、「英語教育批評」ということで、“「英語教育」誌の批評”と“日英ことばのエッセー”のようなものが混在していました。今回からはこのブログは、「英語教育」誌(大修館書店)の批評となることをご了解ください。なお「浅野式現代でたらめ用語辞典」はこれまでのように続けます。

 

(2)「英語教育」誌(大修館書店)2013年10月号の特集は、「<正確さ>と<流暢さ>をどう培うか―インプット・アウトプットの両面から」となっています。この特集のタイトルを見て、私は40年以上前の英語教育関係の学会で行われたシンポジウムを思い出しました。テーマは、”Accuracy or Fluency?” (正確さか、それとも流暢さか?)でした。その時私は、”listening fluency” (聞くことの流暢さ)という用語があることを学びました。“流暢さ”という日本語はもっぱら“話すこと”に使われるのが普通だと思います。

 

(3)ところで、この特集の最初の記事は、和泉 伸一(上智大)「英語学習における<正確さ>と<流暢さ>の関係とは」で、“Bialystock の2次元モデル”というものを説明しながら、学習者のタイプやタスク負担の重要性などに言及しています。新しい理論の紹介としては、丁寧で分かりやすく書いてある論文だと思いますが、こういうものが最初にあると、後の特集記事を読むことを諦めてしまう読者も多いのではないかと私は心配になりました。

 

(4)次の記事は、金森 強(関東学院大)「<正確さ>と<流暢さ>を育む、段階に応じた音声指導」です。これなら、興味を感じて読んでみようとする読者は多いのではないでしょうか。続く記事も興味の感じられるテーマが多いので、編集者は記事の順番にも十分な配慮をしてもらいたいと思います。乳幼児の段階を過ぎてしまった日本人の英語学習者にとっては、英語の発音を英語話者のように身に付けることは大変に困難ですが、訓練の方法によっては可能な場合があります。その方法とは専門的な知識と指導力を持つ英語話者による集中訓練です。その好例は、先日の「2020年東京オリンピック招致」のための最終プレゼンテーションです。

 

(5)あれをテレビなどで見た多くの人は、「日本人の英語もかなりなものだ」と思ったようです。しかし、ほとんどのプレゼンターは質疑応答になると、日本語に切り替えてしまいました。私はこのあたりが日本人の英語力の限界だと思いました。しかし、内容のある英語の文章を英語話者にわかるように暗唱出来るということは英語学習の上では大切なステップの1つです。特に、どこを見ながらどのような身振りで語りかけるかは、日本人が身に付けるべき大切な要素だと思います。

 

(6)今回の特集の場合には、東京オリンピック招致のプレゼンテーションは間に合わなかったと思いますが、読者はあれを頭に描きながら特集の記事を読まれると、得られることが多いと考えます。ただし、安倍首相のように、福島原発の問題を尋ねられるのを予想して、あらかじめ用意した答弁をするのは、自然な問答とはとても言えません。コミュニケーションの基本は、“誠意のある対応をすること”だと思います。(この回終り)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.