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浅野:英語教育批評:教師たちのコンセンサス

Posted on 2007年4月17日

 政党に属する議員は、党議拘束に縛られることが多い。郵政民営化の場合には造反議員はひどい仕打ちにあった。しかし、与党がある政策や方針を実行に移す場合は、一致団結したほうが効果的なのは確かだ。そのためには、個々の違いは無視されるし、個人もそれは我慢しなければならない。一方では、「少数意見も尊重されなければならない」というのも民主主義の原則だと言うけれど、実際には守られない。「多数決」が絶対優勢だ。
 英語教師の場合は、「学習者に英語の力をつける」という共通意識はあっても、考え方は様々であるのがふつうだ。中・高では検定教科書を使用することが義務付けられているが、共通教材を使っていても、進度、教え方、宿題、テスト、評価などについて足並みを揃えようとすれば、相談しなければならないことが山ほどある。複数の教師がどこまで協調できるかで効果も大きく違ってくるのは確かだが、この協同作業は容易ではないようだ。
 ELEC(英語教育協議会)が、「英語展望」No. 114を創立50周年記念号として発行した。特集のタイトルは、「英語教育のナショナル・ストラテジー」だ。
「国家戦略」などは戦争を連想させるので私は好まないが、最近はなんでも誇張した表現が好まれるようだ。しかし、小学校の英語教育さえコンセンサスが得られないのに、国家政策として「英語の第2公用語化」など実現できるのかと思うが、「そんなことを言っているからダメなんだ。中国や韓国を見習え」といった声も聞こえてくる。現にこの号では、アジア諸国の言語政策に関する国家戦略が紹介されていて、日本が遅れをとっているのがわかる。
 「国家戦略のためには小異を捨てよ」となると、どうも馴染めないのは私が戦中派だからだろうか。でも、まとまりにくいのはむしろ若い世代ではないかとも思う。説得する側はわかりやすく、辛抱強く努力するよりないであろう。
(浅 野 博)

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