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浅野:英語教育批評:「繰り返し」のこと

Posted on 2007年9月4日

 新米教師の頃、授業を見てくださった恩師から、「大事なことは、ただ繰り返せばいいものではないよ」と言われた。私は「いいか、これは大事だぞ。もう1度繰り返すからよく聞きなさい」のように言うことが癖になっていたようだ。「分からせるためには『手を変え、品を変え』ということを考えなさい」とも言われた。聞かせたら、文字を見せるとか、静止画で分かりにくければ、ジェスチャーで見せるとか、さまざまな工夫が必要なのだ。方法を変える場合もタイミングとか生徒の反応も考慮に入れなければならない。「教える技術」は奥が深い。
 自己反省はこのあたりにして、八つ当たりしてみたい。対象は最近の民放のテレビで、「無駄な繰り返し」が多すぎないかということ。印刷媒体の新聞の場合は、朝、夫が読んで出かけたあと、専業主婦の妻が昼近くに読み、午後に帰宅した大学生の娘が読むといったことはよくあることだ。テレビ画面はそうはいかないから、見損なった人のために、同じことを繰り返すのはある程度は必要であろう。ところが、実際は1日で10回以上も繰り返している。週末にはワイドショーでまた繰り返す。しかも、「再放送です」とは言わないから、同じことをさも初めてのように伝えるキャスターの顔がバカに見える。実際は視聴者をバカにしているのだ。情報源も新聞や雑誌に依存している部分が多く、自社独自の取材が少ない。夕方のニュースなどでは、ときに良い特集もあるのだが、そういうものはまず再放送されない。
 視聴者の批判を紹介して、反省を示す番組は時間が短く、休日の早朝などに放送する。しかも、局の責任者の答弁は概して慇懃無礼である。これではテレビの「言論の自由」はあぶなくなる。現に与党のある政治家は、「自民党が参院選挙で負けたのは、テレビが大臣のおかしな言動ばかりを繰り返し放送したからだ」と言っていた。そのうちに、『テレビの繰り返し放送を禁止する法案』でも出てくるのではなかろうか。
(浅 野 博)

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