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浅野:英語教育批評:言語についての誤解と偏見

Posted on 2007年12月11日

 日本人の多くは英語学習で苦労しているから、その反動として、「日本語はやさしいのに」と考えがちである。これは言語についての誤解の1つだが、実は、その裏には、もっと重要な偏見があるようだ。大谷泰照氏は、その近著『日本人にとって英語とは何か』(大修館書店)の中で、大学生を対象に、「生まれ変われるとしたら何語を母語にしたいか」というアンケート調査の結果を示している。これは日本のいくつかの大学で40年以上も続けられているもので、非常に興味あるデータになっている。この書物での最近 (2002) のものでは、「英語を母語にしたい」54%、「日本語」33%、「何語でもよい」1.1% となっている。
 一方、アメリカの大学生の場合は、1977年で、「英語」33%、「フランス語」27%が上位を占めるが、その他の言語は非常に数が多く、しかも、「何語でもよい」が23%を示していて、その理由は「言語には上下の差が無いのだから」が多いとのこと。日本人学生は言語に対する偏見があって、「優れた言語と劣った言語があると大真面目で信じ込んでいるようだ」と著者は述べている。そして、さらに次のように問題提起をしている。

 実は、もしも日本の学校外国語教育が、世間でよくいわれるように「欠陥教育」であるとするならば、それは英語が少々話せないとか、英語の手紙が書けないというよりも、むしろ言語そのものに対して、このような偏見に満ちた圧倒的多数の学生を育ててきたためと考えるべきではないか。この事実に、われわれはもう少し重大な関心をもつ必要がありそうに思われる。(p.82)

 生徒、学生が英語を学びたいと希望するのを止めることはできないであろう。そして、教える以上は誤解や偏見を除去するために、細心の注意を払う必要がある。これは会話や文法を教えること以上に難しい課題なのだ。さらに、「そんなことをやっているから、TOEIC の得点が最低なんだ」という批判にも耐えなければならない。前途多難である。
(浅野 博)

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