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浅野:英語教育批評:「言語環境」のこと

Posted on 2007年12月25日

 政治家が失言をして弁明をするときには、「誤解を招いたが、私の真意は…」のようなことを言う。「誤解」というのは、「誤って理解すること」だから、誤解はするほうに責任がある。したがって、「誤解を招いた」は、責任転嫁のような感じがする。
 一般に母語というものは“自然に”習得すると考えられている。確かに、3,4歳になった子どもが、突然に難しい単語を使って話したりすると、周囲の大人はその成長ぶりに驚いてしまう。しかし、幼児の母語習得は、話し言葉のごく一部であって、語彙、読み書き、文法、表現法などは一生かかっても完全に習得するのは不可能なのだ。その習得を少しでも早めて、「誤解を招かない」使い方を身につけさせるためには、「正確に使われている言語環境」が不可欠なのだ。政治家の不用意な話し方は、そういう言語環境の破壊につながると考えざるを得ない。しかも、マスコミが繰り返すから悪影響が強まる。
 安倍前総理や竹中元大臣などは、やたらとカタカナ言葉を使う癖があったが、これも環境汚染の一因だったと思う。カタカナ言葉でないと言い表せない新しい概念を導入したいのなら、明確に定義を示してから使うべきだ。「年金問題」「政治と金」「食品表示の偽装」などは分かりやすいから国民の関心も高い。政治家は国民が分かると困るから、わざと分かりにくい言い方をするのではないかと勘ぐりたくなる。
 他人の批判はしやすいから、自己反省もしておこう。英語教師も「文法用語」という武器を使って、生徒を悩ませているのではないか。私は新米教師のころ、高校生の生徒に「先生、“単純未来”があるならば、“複雑未来”もあるのですか」と質問されてドキッとしたことがある。「“意思未来”以外をそう呼ぶのだ」と言ってごまかしたが、文法用語は現在でも悩みの種だ。新しく出た中教審の報告にも、「英語教育でも文法指導を重視せよ」という趣旨の文言がある。よほど覚悟して受け止めないと、相変わらず効果のない英語教育を続けることになるのではないか。
(浅 野 博)

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