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浅野:英語教育批評:初心忘るべからず——教育機器と授業

Posted on 2007年6月5日

 この頃は企業のプレゼンテーションではパソコンのパワーポイントなどを使うのが主流になっていて、授業や研究発表でも使う教員が増えてきている。しかし、機械はいつ故障するかわからないので、プリントした資料などバックアップがないと困ることもある。もともと「プレゼンテーション」は授業では必須の技術だ。教材の提示、説明事項の整理、出題や正答の確認など種類も多く、その際の主役は黒板だった。名称は古臭いが、その「便利さ」はホワイトボード(これにも弱点があるが)にも受け継がれている。
 1970年代頃から盛んに使用された機器にOHPがある。提示資料を事前に準備できること、その資料を瞬時に入れ替えたり、繰り返したりして提示できるなどの長所のために、教室にも急速に普及した。しかし、短時間に多くの情報を提示するために、学習者はノートを取ることも出来ずにぼんやりしていることもあった。また、50人ものクラスサイズでは文字が見にくいとか、直射日光の当たる部屋では適さないとかの弱点があった。教室のカーテンや照明まで変える予算がないから、機器の機能が十分に発揮できないことがあった。こういう環境整備は予算さえ取れれば解決できるが、最大の問題は、教師の教える能力にあると思う。
 つまり、黒板をうまく使えない教師は、OHP もうまく使えないし、パソコンでも失敗する。それと、英語教育では、どういう提示機器を使うかという以上に、提示するのは文字かその他の映像か、音声か文字かといった問題が大切で、こうしたことに関する明確な方法論がないと授業が効果的にならない。このような問題は、テープレコーダやLL(語学ラボラトリー)の利用の場合にも見られた。現在は、「紙の辞書」と「電子辞書」との関係にも新たな問題がある。機器は常に進歩する。しかし、外国語教育の基本的な考え方はそう急速に変わるわけではない。英語教師にとって、「初心忘るべからず」はどんな段階でも大切なのだ。
(浅 野 博)

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