言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:「テレビ」が怖い

Posted on 2008年4月8日

 これは落語の「饅頭怖い」と同じではない。本当に「怖い」ということを言いたい。少年の凶悪犯罪が起こると、その原因の1つはテレビゲームにあるとよく指摘される。つまり仮想の世界と現実の区別がつかないのだと言われる。しかし、なぜ区別がつかなくなるのかはよくわからない。人間の心理は複雑怪奇で、まだまだ解明できないことが多い。
 それをよいことに、テレビは勝手な映像を送り出す。悪影響があるという批判があっても、絶対的な因果関係の証明ができないから、「私たちの意図のように受け止めていただければ悪い影響はない」という言い訳が通ってしまう。それにテレビには「言論の自由」という錦の御旗があるから、攻めるほうも攻めづらい。しかし、報道番組でもその局独自の取材というのはごく少なくて、新聞や雑誌の記事の紹介がかなりの部分を占めている。そして、局で自作の“テロップ” には漢字や内容に誤りがよくある。キャスターがあわてて訂正をしたりするが、お粗末な話だ。しかも、使わなくてもいい英語を使ったりして間違えている。ドラマのタイトルや番組名もずいぶんといいかげんだ。だれにでも間違いはあるが、どうやってそれを防ぐかは経営者の態度次第だ。伝統的に、新聞は誤植が極めて少ない。それは、専門の校正係りがいて、よく見張っているからであろう。そうした校正者の苦労話や疑問をまとめたのが、毎日新聞校閲部編『新聞に見る日本語の大疑問』(東京書籍、1999)である。テレビのディレクターたちもこういう本をもっと読んで日本語を勉強してもらいたい。
 民放に視聴率を気にするなといっても無理なら、NHK に期待せざるを得ない。しかし、その予算や決算の政治家による審議を深夜放送で視聴すると、なんともじれったい。いっそのこと、NHK の予算は全額税金から出して、政府や政治家とは関係のない第三者の審議会で監査をしたらよいと思う。このような放送制度の抜本的な改善方法が議論されるべきだと思う。
(浅 野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.