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浅野:英語教育批評:「おばかタレント」考

Posted on 2008年5月8日

 「おばかタレント」(“ばかキャラ)がどこの民放でも引っ張りだこだ。「面白くなければテレビでない」とばかり、テレビは何でもお笑いにしてしまう。何かの能力がないことを笑いの対象にすれば、社会的な批判を受けるはずだが、彼らはむしろ大変な人気者だ。「芝居や歌などに努力しているし、バカではない」とか「学校の成績が悪くて沈んでいる人たちには励みになる」といったコメントをする人もいるが、私はそのまま同意する気にはなれない。
 放送向きの人材は、何千倍という競争の中から選ばれているので、少数の成功者がお手本になると考えるのは安易すぎる。スポーツでもそうだが、成功には懸命な努力が前提にあるはずで、結果的には“幸運”もあろう。誰もが簡単に真似できるものではないはずだ。
 教師として「おばかタレント」を観察すると、興味深いことも見つかる。それは、“思考方法の違い”という点だ。そういう意味では彼らは“変わり者”である。例えば、算数の問題を解く場合に、彼らは足し算、引き算まではともかく、割り算になるととても迷う。その結果、常人とは違う発想で答えを出そうとする。加減は具体的に説明しやすいが、乗除はそうはいかない。ましてや分数の乗除はわかりにくい。英語学習では、「3単現の (e)s」が越えるべき峠となる。多くの生徒は「わからない」と思ってしまう。教師の工夫のしどころだ。
 「おばかタレント」は、記憶力、判断力が劣っているわけではない。これらは生きるためには重要だから、彼らは「生きる力」はあるのだが、基礎力がないのだ。NHK では進化論のダーウィンのことを放送していたが、彼は学校の勉強よりも虫を追いかけ観察することが大好きだったという。つまり“変わり者”だったのだ。家庭が裕福だったということも無視できないが、どこかで読み書きの基礎力はつけていたはずだ。“変わり者”は嫌われることが多いが、排除はできない。教育というものは、結果だけでなく、過程も大事だということを忘れずにいたい。
(浅 野 博)

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