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浅野:英語教育批評:「文学教材」のこと

Posted on 2008年7月31日

 「英語教育」8月号(大修館書店)に、珍しく「教材論」の記事があった。「珍しく」と言ったのは、私は英語教育ではまともな教材論が存在しなかったのではないか、という印象をもっているからである。もちろん、無数といってもよいほど数の多い「論文」の中には、立派な教材論もあるのであろうが、浅学でその例を知らない。したがって、この雑誌の「英語教育—研究と実践」のようなページは有難い。この号では、2つの論文が紹介されている。大学と短大レベルにおける「文学教材」の使用とその効果についての論考で、紹介者は上田明子氏である。
 まず初めに、私が疑問に思うのは、いわゆる「英文科」出身の英語教師がだんだん少なくなっていく現状で、「文学教材」とか「英米の文学作品」といった言葉で、どの程度共通の認識が持てるかということである。昔は出身大学が違っても、英語教師であれば、「エッセーはだれだれ」とか「短編小説はだれだれ」といった共通点が少なくなかった。コミュニケーション重視の英語教育のなかでは、「ビジネス英語」の存在が大きくなっている。経済や経営を専攻した英語教員には、共通理解をもつのは困難ではないであろうが、逆に英文科出身者には、新聞英語(時事英語)などには関心があっても、商売上の取引の英語などはほとんど縁がない。私は、英語教師の背景が多様化することは、生徒、学生にとっても悪いことではないが、全体的な視野から構成したカリキュラムがないと、学習者の混乱を招くであろうと心配する。以前から大学の「一般英語」の授業では、あるクラスはシェークスピア、隣のクラスは英字新聞、また別のクラスは会話教材と内容も、評価基準もばらばらだったことがある。
 上記論文では、ある期間の指導の後のアンケート結果も紹介されているが、ほぼ80% 以上が「文学教材」の使用を支持している。ただし、回答者が10名と極端に少ない。本当は、1年後に自分で選んだ文学作品を自力で読んだといった結果がないと効果的とは言えないであろう。
(浅 野 博)

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