言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:英語教育の効果を上げる方法とは?(その2)

Posted on 2008年11月26日

 今回は具体的に問題点を考えてみたい。例の文章は前回示したので、お手数でも前回のブログを参照願いたい。
 現行の中学校の指導要領で示している言語活動の「読むこと」ではまず(ア)文字や記号を識別し、正しく読むこと、とある。例の短い文章の中でも、「同格のカンマ」や「実例提示のコロン」、それに「best-known のような造語的ハイフン」が使われている。大学生でもこうした記号をよく知らない。したがって、この程度の教材でも、指導要領の示す目標を達成しようとすると、大変に時間がかかるのである。
 次に単語の問題がある。最初の ‘a master of abstract art’ の master を訳させると「主人」とか「マスター」ですませてしまう。辞書指導が十分でないと生徒は最初の訳語を当てるだけで満足しがちである。外来語(カタカナ語)の扱いは国語教育の指導の問題だが、これも十分ではない。master については、英英辞典が示す ‘someone who is very skilled at something’(何かが非常に巧みにできる人)といった「原義」をわからせておくと応用がきくであろうが、「原義」が応用できるためには、多くの実例に触れる必要があり、これも時間がかかるのである。
 一方、例に示したような教材については、「こんなわかりきった文章では生徒をひきつけられない。もっと感動を与えるような物語を教材にすべきだ」といった批判が聞かれる。だから私は日本の英語教育は欲張りすぎていると言うのである。「這えば立て、立てば歩めの親心」という言い伝えがあるが、英語教育では、よちよち歩きの生徒に、百メートル競走で記録を出せと言ってるようなものだ。もちろん中学生は赤ん坊ではない。だから知的発達に応じたことは母語でしっかり指導すべきだ。外国語習得の過程としては赤ん坊なのである。
 とても1回や2回で論じきれる問題ではないが、「外国語の習得には時間がかかること」「自学自習が必要なこと」を強調して終わりたい。
(浅 野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.