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浅野:英語教育批評:「英語教育」1月号のこと(その2)

Posted on 2009年1月13日

 今回は次の記事を取り上げさせて頂く。
吉田健三:「変わるもの」に振り回されないで——高校における実践からの提言——
 他の分野で仕事をされて英語教育が専攻でなかった方が、40歳半ばで大学院で第二言語習得を勉強されて、公立高校の教壇に立たれての実践報告と提言である。従来の英語教師の偏りを正すためにも、こういう教師の参入は望ましいことと思う。そういう吉田氏の研究と実践の意義を認めた上で、氏のこの記事の「わかりにくさ」を指摘しておきたい。
(1)「パラダイムシフト」という用語
 これは言語学や哲学ではすでに常識的な用語であろうが、英語教師の間で一般化しているとは思えない。「転換」「変化」「変革」などでよい。「オーラル・コミュニケーション導入は私が待ち望んでいた『パラダイムシフト』だった」(p.19) は、「…『抜本的変革』だった」でよいではないか。「変わる用語」に振り回されないようにしたい。
(2)スピーチとプレゼンテーションの違い
高校生指導の方法として、「スピーチ」よりも「プレゼンテーション」のほうが効果的と氏は主張する。両者の違いが英語で示されているが、私にはよくわからない。後者の方が「より易しく、より興味が持てる」とか「スピーチは退屈だが、プレゼンテーションはより創造的で、変化に富む」(p.20) と言うだけでは説得力がない。スピーチでも、提示のための様々な手段を使ってはいけないということはないはずだ。
(3)直読直解と発話力・聴解力
 吉田氏は、この小見出しに続けて「発話においても聴解においても音声を『漢文読み』はできない」と書いている。私には「音声を漢文読みする」がよくかわからない。あえて推測すれば、ネイティブスピーカーの英文が耳から入る場合は、彼らは日本語的に語順をひっくり返えしたりしていない、という当り前なことであろうか。または「聞こえてくる英文を日本語の語順に直して理解しようとしたのでは追いつけない」ということであろうか。これでは、優れた同時通訳者の技を説明できないではないか。
(浅 野 博)

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