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浅野:英語教育批評:「自分を見つめ直すこと」について

Posted on 2009年2月19日

 スポーツ選手はたいてい30代で引退するから、それからの長い人生をどう過ごすかを考える必要があることはよくわかる。「自分を見つめ直すために長い旅に出る」などと、引退した選手が言うとカッコいいとも思う。でもそんなことが出来る選手は極めて数が少ない。まずお金と時間の余裕が必要だ。だから多くの英語教師には夢のような話だ。学校では30代になると、校務は増えるし、家族もいる。2,3年留学したいと思っても困難な場合が多い。
 こんなことを考えたのは、「英語教育」(大修館書店)の2009年3月号の特集「英語教師として自分を見つめ直す方法」を読んだからだ。まずそんな「方法」があるのかと疑問に思った。
主要記事のタイトルから、専門用語と思われるものを抜き出してみると次のようになる。
「リフレクティブ・プラクティス」「アクション・リサーチ」「ポートフォリオ」「言語教師認知研究」「FDの挑戦」「Can-Do フィードバック」「教師バーンアウト」
 私などへそ曲がりだから、この特集は「こういうことを知っているか?知らなければ勉強せよ」と言っているような気がして、「やれやれ反省するのも大変だ」と思ってしまう。私なら、「短時間でも禅寺で座禅を体験してみよう」とか「高い山の頂上で大自然を眺めてみよう」とか言ってみたい。多少でも余裕があるなら、行ったことのない、英語圏以外の国へ行って、全く違う言語を話す人々の雰囲気に触れるのもよいであろうと思う。大昔から、「己を知れ」と言われてきたのは、それがいかに難しいかを語っているのではなかろうか。
 まるで、教育ママにせかされる子供のように、免許更新だ、研修会だ、TOEIC だ、英検だ、とせかされている教員に「もっと勉強せよ」とは言いにくい気がする。もちろん、英語教師に勉強が不必要とは言わないが、勉強は強制されたのでは効果が上がりにくいということは、教師が一番知っているのではないかと思う。
(浅 野 博)

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