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浅野:英語教育批評:「学校崩壊」再考

Posted on 2009年6月5日

 最近のニュースは暗いものが多い。不景気になると強盗、ひったくりなどの犯罪が増える。だから景気をよくしよう、という声が強くなる。でも、それで日本の社会が本当に良くなるのであろうか。
 教育に関係した者としては、やはり教育の重要性を強調したいと思う。現在の教育政策は、形式的で、中身のないもののように思える。そもそも「学級崩壊」「学校崩壊」といったことが言われたのは、もう10年以上も前のことだ。それから間もなく、村上龍『「教育の崩壊」という嘘』(NHK出版、2001)という本が出た。著者は次のように書いている。

 わたしたちが「教育の崩壊」という言葉に違和感を持たないのは、確かに何かが崩壊していると感じるからだろう。崩壊して機能しなくなっているのは、教師の、あるいは親の、子どもに対する「権威によるコントロール」というガバナンス・統治の方法ではないだろうか。(p. 13)

 日本人は言葉を明確に定義しないで使ってしまう傾向があるから、「崩壊」という場合に「何がどう崩壊したのか」を論じるのは賛成である。しかし、著者は細部はともかく、全体としては「この崩壊はむしろ望ましい」という姿勢で論を進めていく。著者の意向を私なりの言葉で表現すると、「学校崩壊は、教師とか親の権威が失われただけで、少数の生徒のために授業が出来ないような状況は“事実ではない”つまり“うそ”なのだ」と主張しているように感じる。
 村上龍氏は、自分で11問からなるアンケートを1,600人の中学生に実施して、その回答を読んでこの本のタイトルを決めたとも述べている (p. 285)。アンケートの質問は、「将来を考えるとき、どんな気分になりますか」「有名になりたいですか」「あなたにとって希望とは何ですか」といったもので、回答は明るいものばかりではなく、むしろ暗いものが多い。そこから何を感じ取るかは、主観的な判断だから楽観的な見方もあろう。しかし、「教育の崩壊」を「嘘」と断じてしまうのはとても危険だ。
 新型流感は患者が少数だから安心だとは言えないし、「相手は誰でもよかった」という殺人事件は数が少ないからといって、とても楽観は出来ない。30年前に、バブル景気に浮かれて、何も出来なかった政治と教育は今こそ猛省しなければならないのだと思う。
(浅 野 博)

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