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浅野:英語教育批評:「受信型」と「発信型」

Posted on 2009年6月23日

 これは古くて新しい問題だ。古くは語彙について、「受容語彙」と「発表語彙」ということが言われた。この区別は母語である日本語のことを考えても分かる。最近はワープロやメールの普及にともなって、「読めるが書けない漢字」が増えていると心配されているが、もともと「受容語彙」は数において「発表語彙」よりも圧倒的に多いことは忘れるべきではないのだ。「聴けたことは話せ」「読めたことは書け」という指導方針では多くの場合失敗する。
 「英語教育」2009年7月号(大修館書店)の特集は「『表現する英語力』を育てる」で、正に「発信型教育のすすめ」である。経験豊かな10名の執筆者が説く指導方法や内容に、私は頭から反対するつもりはない。しかし、多様化した中高校の現状において、そういう発表活動がどこまで可能で、本当に効果的なのかはよく考える必要があると思う。
 母語の場合と同じように、「受容」から「発表」へ、という順番は重視されるべきだ。ただし、言語の習得には、「使いながら身につける ”learning by doing”」ということがあるが、これには長い期間の試行錯誤が必要なのだ。この特集記事では、「発表力をつけるにはどういう学習条件が必要か」についての記述が十分でないように思われる。わずか、加藤治之「必要条件としての文法指導」が時間数やクラスサイズのことに触れて、現状への不満を述べている (p.27)。
雑誌の記事というものは、啓蒙的な意味が大きいので、経験の浅い教員や英語教員志望の大学生などにも役立つような、きめの細かい記述がほしい。「まず指導要領あり」では、その枠から抜け出すような発想が生まれにくくなる。小学校の英語活動など、週に1回で本当に大丈夫なのか疑問に思う。実験校などの発表では、生徒たちが生き生きと英語を使ってはいるが、本当に将来役に立つ学力として定着するのかどうかは不明だ。文科省ももっと予算をかけて、長期的な追跡調査をするような試みもしてほしと思う。現在の文科省の言うなりになっている英語教育には進歩はないと主張したい。
(浅 野 博)

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