言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「おわび」(お詫び)

Posted on 2007年11月22日

半可通の米人:私それ知ってるよ。WABI はとても日本らしいものよ。それをていねいにO-WABI と言うの。
 「日本らしい」というところは当たっている。O-WABI とか SHAZAI とか」は、やがて英語辞書にも載るであろうが、どんな定義が与えられるであろうか。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野式辞典:「だいれんりつ」(大連立)

Posted on 2007年11月21日

高校生 A:連立方程式だってわからないのに、そんな方程式なんか解けっこないよ。
高校生 B:違うよ。確率の一種だよ。「起こりそうもないこと」を表すんだってさ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:研究会の運営—「英語展望」No. 115 の記事から

Posted on 2007年11月20日

 ELEC の「英語展望」は毎号読みごたえがある。ただし、この最近号は校正が十分でないのか、誤植が散見されて残念である。
 最初に私が興味を持ったのは、小田真幸「“地球語”としての英語——国際会議舞台裏からの現場報告——」である。著者は「はじめに」で、「すべての学習者が必ず英語を使う必然性のない中で、『使える英語』が何であるかということもわからないままに教えなければならない中、教師自身も日本国内にとどまりながら、必要にせまられて英語を使って何かをしなければならない状況に遭遇することは非常に難しい。」と述べている。(本題と直接関係ないが、小田氏の文章は一文が長いものが多くて、言いたいことの焦点がわかりにくい。)
 私が前回のブログで述べたように、教室内の英語のコミュニケーション活動は、とても“自然な状況”でなされているとは言えない。中・高の英語教員は ALT とはさまざまな話題について英語で話す機会があるであろうが、それをそのまま教室に持ち込むことは無理な場合が多い。
 学会主催の研究会は、日本人だけの集まりであっても、事務的な連絡や論文の採否などに関する様々な問題がおこりがちである。小田氏は、AILA ’99 とAsia TEFL 2006の運営に関する役目を担当して、その経験に基づいた問題点の指摘をしている。注目すべきは、英語母語話者が、使用言語の優位さから、かさにかかって非英語母語話者の役員を責めることがあるとの報告があることで、さもありなんと思う。それでは、非英語母語話者たちは、日本人を含めてすべてが役員の苦労を正当に評価してくれるかと言うと、それも望めないようだ。私が思うに、使用言語とは関係なく、参加者に社会人としての「常識」があるかどうかということなのである。ところが、世の中全体が、資本主義的な競争意識の中で、「常識」を失いつつあるところに、問題の原因があるようだ。小学校から実践しているはずの異文化理解や国際理解の教育は何の役に立っているのであろうか。
(浅 野 博)

浅野:英語教育批評:教室内のコミュニケーション活動

Posted on 2007年11月13日

 だいぶ昔のことだが、ブリティッシュ・カウンスルのダン氏(英語教育担当官)と外国語教育について話し合ったときに、彼は「外国語教育というのは学校の教科として考えないほうがよいのかもしれない」と言った。その理由は、イギリスの学校では、フランス語のような場合には、教師の留学を義務付けたり、生徒の短期滞在を実施したりするが、思うように成果が上がらないというのだ。
 「でも、日本の英会話学校の真似をしてもだめでしょう」と私が言うと、「それはわかっている。だから難しいのだ」と悩んでいた。イギリスは1980年代に入って、大規模な教育改革を始めて、外国語を必修科目にしたので、ダン氏のような見解は生かされなかったようだ。
 教室で英語を自由に操れるようにということで、コミュニケーション活動を盛んにやらせても効果があがりにくい。1つには、学級は同年輩の学習者の集まりだということ、しかも、すぐに顔見知りの仲間になる。そして先生対生徒という形での対話が多く行われる。これは、極めて限られたコミュニケーションの状況である。そこで、やむを得ずに「会話ごっこ」をさせる。生徒は一応嬉々としてその「ごっこ」を楽しんでいるように見えるが、英語そのものは必ずしも定着しない。そこへきて、クラス・サイズが大きい、時間数が少ないといった障害もある。
 それなら、「会話ごっこ」などは止めて、「英文法をしっかりと教え、基礎的な訓練に徹せよ」といった主張がなされるのも当然であろう。斎藤兆史氏の著作(最近のものは『これが正しい!英語学習法』(ちくまプリマー新書)などがその代表的なものだ。私は、氏とは時々メールで意見交換をさせてもらっているが、私の疑問は、「基礎的訓練の重要さはわかるが、今の生徒はそれではついてこないものが多い」ということである。やはり必修化は間違いではないか、英語教育は教科として成立しにくいのではないか、という、冒頭のダン氏の疑問にもどってしまうのである。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「ふさくい」(不作為)

Posted on 2007年11月8日

 中学の先生が生徒に説明した。「君たちがカンニングするのは『作為』だ。宿題をやってこないのは『不作為』だ。どちらも悪いことだ」と。生徒が質問した「監督していてカンニングを見つけられない先生は『不作為』ですよね?」。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★