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「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その2)

Posted on 2013年10月25日

(1)「英語教育」誌(大修館書店)2013年11月号の特集は、「『解説で終わらせない文法指導』」となっています。本題に入る前に、私の持論としての文法指導の条件とでも言うべきものを述べさせてもらいます。

 

(2)まず「文法という規則をどのようにわからせるか」ということがあります。以前にも書いたことがありますが、ある高校1年生の授業を参観した時のことでした。先生が「“三単現”とは?」と問うと、生徒が一斉に「動詞が三人称単数の時は、動詞にSまたはESを付ける」と答えていました。これでは、「生徒は文法が分かっている」とは言えないと思いました。

 

(3)優秀な生徒であれば、「なぜ (e)s が付くのだろう」と疑問に思うでしょうし、“動詞”といっても、「この場合は“述語動詞”のことだと知っているのだろうか」ということも気になりました。もちろん、学習能力は個人差が大きいので数少ない事例で結論を出すのは危険なことは承知の上です。

 

(4)母語の場合であれば、文法を意識する前に“正しい言い方”がある程度身についています。したがって、中学生になって、“下一段活用”とか、“連体形”などと言われて、「文法は嫌いだ」と思うのはよくあることでしょう。日本語の文法をなぜ教えるのか」は国語の教師が考えるべき大問題ですが、英文法を教える場合にも同じようなことが言えると思います。

 

(5)私は若い頃、東京電機大学で十年以上英語を教えましたが、理工系の学生は“理詰めで考える”訓練を受けていますから、英文法についても、「なぜ?」と問う姿勢があったのです。英語の歴史を説いても意味がないので、「英語ではそういうことに決まっているのだ」と言わざるを得ない場合が多くありました。ぶっちゃけた話、多少いい加減な態度の学生のほうが、“英語を話す”という点ではうまく行く場合が少なくないような気がしています。

 

(6)以上のような問題意識を持ちながら、「英語教育」誌の記事を読んでみました。最初の記事は、阿野 幸一(文教大)「『解説』からコミュニケーションにつなげる文法指導」です。文法指導についても丁寧にステップを考えながら説いている印象を持ちましたが、日本語でなされる「解説」の実例を示してもらいたかったと思いました。

 

(7)2番目の牛久 裕介(埼玉大教育学部附属中)「中学校での文法『説明・解説』と『言語活動』の好バランスを考える」も記事の書き方は丁寧ですが、“英語の授業は英語で”という意識があるせいか、日本語による説明・解説の例は皆無です。最近は英語の授業数が多少増えたからといって、母語のように、使いながら英語のルールを適用できるようになるのはまず無理ですから、教室では日本語である程度説明をする必要があるはずです。

 

(8)他の記事については割愛せざるを得ませんが、“応用・発展”の例が中心で、文法指導の主眼である、「どうのように説明して、何を分からせるか」という視点が欠けているように思えました。これは編集者の責任で、執筆者は依頼された通りに書こうとしたのかも知れません。しかし、“文法指導”は古くて新しい問題で、解決すべき課題は多いのです。今後ともすべての英語教師が考えていくべきことだと改めて思いました。(この回終り)

「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その1)

Posted on 2013年9月20日

(1)最初にお断りしますが、これまで私の「英語教育批評」を読んでいてくださった方は、タイトルが変わっていることに気づかれたことと思います。これまでは、「英語教育批評」ということで、“「英語教育」誌の批評”と“日英ことばのエッセー”のようなものが混在していました。今回からはこのブログは、「英語教育」誌(大修館書店)の批評となることをご了解ください。なお「浅野式現代でたらめ用語辞典」はこれまでのように続けます。

 

(2)「英語教育」誌(大修館書店)2013年10月号の特集は、「<正確さ>と<流暢さ>をどう培うか―インプット・アウトプットの両面から」となっています。この特集のタイトルを見て、私は40年以上前の英語教育関係の学会で行われたシンポジウムを思い出しました。テーマは、”Accuracy or Fluency?” (正確さか、それとも流暢さか?)でした。その時私は、”listening fluency” (聞くことの流暢さ)という用語があることを学びました。“流暢さ”という日本語はもっぱら“話すこと”に使われるのが普通だと思います。

 

(3)ところで、この特集の最初の記事は、和泉 伸一(上智大)「英語学習における<正確さ>と<流暢さ>の関係とは」で、“Bialystock の2次元モデル”というものを説明しながら、学習者のタイプやタスク負担の重要性などに言及しています。新しい理論の紹介としては、丁寧で分かりやすく書いてある論文だと思いますが、こういうものが最初にあると、後の特集記事を読むことを諦めてしまう読者も多いのではないかと私は心配になりました。

 

(4)次の記事は、金森 強(関東学院大)「<正確さ>と<流暢さ>を育む、段階に応じた音声指導」です。これなら、興味を感じて読んでみようとする読者は多いのではないでしょうか。続く記事も興味の感じられるテーマが多いので、編集者は記事の順番にも十分な配慮をしてもらいたいと思います。乳幼児の段階を過ぎてしまった日本人の英語学習者にとっては、英語の発音を英語話者のように身に付けることは大変に困難ですが、訓練の方法によっては可能な場合があります。その方法とは専門的な知識と指導力を持つ英語話者による集中訓練です。その好例は、先日の「2020年東京オリンピック招致」のための最終プレゼンテーションです。

 

(5)あれをテレビなどで見た多くの人は、「日本人の英語もかなりなものだ」と思ったようです。しかし、ほとんどのプレゼンターは質疑応答になると、日本語に切り替えてしまいました。私はこのあたりが日本人の英語力の限界だと思いました。しかし、内容のある英語の文章を英語話者にわかるように暗唱出来るということは英語学習の上では大切なステップの1つです。特に、どこを見ながらどのような身振りで語りかけるかは、日本人が身に付けるべき大切な要素だと思います。

 

(6)今回の特集の場合には、東京オリンピック招致のプレゼンテーションは間に合わなかったと思いますが、読者はあれを頭に描きながら特集の記事を読まれると、得られることが多いと考えます。ただし、安倍首相のように、福島原発の問題を尋ねられるのを予想して、あらかじめ用意した答弁をするのは、自然な問答とはとても言えません。コミュニケーションの基本は、“誠意のある対応をすること”だと思います。(この回終り)