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浅野:英語教育批評:「授業と個人情報」のこと

Posted on 2009年8月10日

(1)あるメイリングリストで知ったことだが、大学の英語の先生が、自分の実施したテストの平均点を研究発表に使用したら、個人情報保護の観点から大学の倫理規定違反だとの指摘を受けたとのこと。この議論に自分が直接に加わると、冷静な判断をしにくくなる恐れがあるので、少し距離をおいて、ここで考えてみたい。
(2)学校の授業は、複数の生徒に一人の教師が指導に当たるのが一般的な例だ。教師は毎時間生徒の名前を言って、質問をする。答えられる生徒もいれば、答えられない生徒もいる。つまり、「生徒 A はできる」「生徒 B はできない」という差が明確になるのが教室の授業だ。そのことを、帰宅した生徒が親に話すことがあろう。親たちが集まったときに、「誰だれさんのお子さんは優秀だ」とか「あの家のお子さんはできないそうだ」といった噂をする。生徒にはプライバシーはないことになる。
(3)こういう状況を容認しておいて、容認しなくても誰にも止められないのだが、生徒名を出さない平均点の利用が個人情報保護に違反するといった議論になる理由が私にはわからない。学校中のクラス別の平均点を公表したために、「○○先生のクラスはよくできる」「××先生のクラスは最低だ」といったことが噂になるのは、あってはならないことであろう。文科省の学力テストの地域別の結果を、公表するか、しないかという問題にも似たようなことが言える。
(4)個人情報の保護ということは、1985年頃から、国際的に問題にされ始めたようだが、日本では、多くは不注意から、個人情報が漏洩することがあるので、神経質になるのはわかる。しかし、そのために、まともな授業や成績処理ができなくなるのでは、学校教育そのものの否定になるのではないか。
(5)個人情報保護は、主にデジタル処理をされたデータについて言われるようだ。確かに、洩れる場合は、膨大なデータが洩れるので大問題になるが、教師が自分のクラスの成績表を入れた鞄を電車内に置き忘れるといったことも、同じような問題だ。不注意や犯罪の場合と、授業や成績処理のため、または研究のための個人情報の処理とは区別して考えるべきだと思う。「個人情報を守れ!」と叫ぶだけではなく、地道で、冷静な考察が必要なのだ。(浅 野 博)

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