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浅野:英語教育批評:「テストと教える英語」について

Posted on 2009年9月17日

(1)「英語教育」(大修館書店)2009年10月号は「授業内容の定着を図るテスト」を特集している。テストは大事だし、各筆者が紹介している様々な工夫や技術が必要なことも分かる。しかし、ないものねだりで申し訳ないが、こういう有益な情報を利用して良いテストを作れない、または作らない教師がいるという現状認識と批判の記事もほしいと思う。
(2)若林・根岸『無責任なテストが「落ちこぼれ」を作る』(大修館書店)が出てから、10年ほどになるが、実情はもっとひどくなっているのではないか。あるラジオ番組で中学生とその親が訴えていたが、英語の先生に質問をしたら、「そんなことは塾の先生に尋ねなさい」と言われたとのこと。逆に、「うちの子の点数がこんなに悪いはずがない」と文句を言うモンスター・ペアレントも存在する。
(3)同じ号の「英語教育時評」は、山田雄一郎氏が「『生きた英語』とは?」について書いている。英語教育界ばかりでなく、日本人は何事にも、「明確に定義すること」や「きちんとした結論を出すこと」を嫌う傾向があるから、「生きた英語とは何か」を明確にしようという意図には賛成である。
(4)私はまず「生きた日本語」を問題にしてみたい。日常生活で、仲間と話したり、テレビ、ラジオで耳にしたりする日本語こそ正に「生きた日本語」である。そういう日本語について、「乱れている」という声も高い。敬語とか謙譲語のような難しい用法ばかりでなく、助詞などが間違いだらけなのである。(このことは、8月に私のブログで2回言及した。)
(5)ここでは、「生きた日本語」に含まれる「おかしな英語」に注目してみたい。日本人は外来語として英語を使うのが好きだが、勝手に作り変えてしまうから、とても英語話者に通じるようなものではない。例えば、「レッツ~」(”LETS~” などとも書く)が大好きだが、「レッツ・ジデジ」などと言う。若いタレントは、スーパーマーケットの安売りを紹介して、「レッツ・スーパー」などと言っていた。「そのスーパーへ行こう」と言っているつもりなのだ。まだまだ悪例はたくさんある。
(6)こういう言語環境で、「正しい生きた英語を学びましょう」という掛け声がいかに空しいかをもっと認識すべきだ。山田氏の一文も、時評というからには、そこまで論じてほしいと思ったのである。(浅 野 博)

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