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浅野:英語教育批評:「教員養成と英語教育」のこと

Posted on 2009年9月24日

(1)民主党の輿石参院議員会長が「教員免許更新制度」の廃止を表明したことに、自民党が「日教組教育の再現だ」と批判を強めている。
どうしてこのように、「是か非か」という極端な議論しかできないのであろうかと嘆かわしく思う。ある評論家は「新大臣たちは、マニュフェストにこだわり過ぎる」と述べていたが、私も同感である。これでは、「実施か、廃止か」というだけの議論になってしまう。(政権を得てから、マニュフェストの訂正が多いということになったら、信頼を失うのは当然だが。)
(2)教員免許更新のための講習会の実際をもっと調べてほしい。かなり運営に無理があるはずだ。しかも、教員は夏休みの授業のないときでも、出勤を義務付けられている場合が多い。図書室に教員用の図書を十分に備えているところは、公立の中高では皆無であろう。
(3)目標とすべきは、免許の更新ではなく、教員にもっと教える力をつけるということである。それならば、それにふさわしい条件を整備するのが先だと思う。しかも、教える力をつけるためには、大学の教員の講義を聞くだけではダメなことは明確だ。
(4)英語教育関係の学会や研究会は数多くあって、どこでも授業研究が大きな研究テーマにしている。授業を見たり、見られたりして切磋琢磨することはとても有効なはずだ。しかし、授業の公開などは個人情報の漏洩になるという批判が出ている。それを言い出したら、授業そのものが実施できなくなると私は思う。「生徒A は質問に答えられた」「生徒B は答えられなかった」ということが明らかになってしまうわけだから。情報開示と個人情報保護という矛盾する問題をもっと議論すべきだと思う。
(5)教員養成制度についても、医学生の場合のように、6年間とすべきという案があって、新聞の投書欄では反対意見が多いようだ。現在でも、修士課程を終えないと、「専修」という免許がもらえない。かなりの教員が無理をして獲得に努力しているはずだ。優秀な教員が集まりにくくなったのは、教育委員会が3月になっても内定の通知さえ出さないことがあるために、希望者が別の分野へ流れてしまうからだ。制度を複雑にして、必要な条件を変えないから、教員や教員志望者には余計な負担がかかっている。もっと単純化して、努力しやすい教育環境の整備を強く求めたい。(浅 野 博)

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