言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:湯川秀樹博士から学ぶ英語教育のこと

Posted on 2009年10月8日

(1友人の村田年さん(むらた・みのる、千葉大名誉教授)が、湯川博士の日記を丹念に読まれて、そのコメントをメールで配信されたものを読む機会を得た。こういう古いものから現代的な問題を考えること、すなわち温故知新は、私も必要だと思うので、言及、引用させて頂くことにした。
(2)このノーベル賞受賞者の逸話の中でも、私は次の2つのことに特に興味を覚えた。
① 博士は自宅にも小さな黒板を用意していて、教え子や友人たちと、そこへ数式を書きながら、よく話し合いをしたということ。
② 博士は、研究室の扉はいつも開け放していて、誰でも気軽に入れるようにしたり、お互いに「先生」と呼ぶのは止めようと提案したりしたということ。
(3)湯川博士は、決して明るい社交的な性格ではなく、授業の講義はぼそぼそと自分に語りかけるような話し方で、分かりやすいものではなかったようだ。むしろ教え子や友人に恵まれたと言うべきなのであろう。しかし、真面目で研究熱心なので、欧米の大学にも招かれて英語で講演や講義をしているが、英語力にも自信を持っていたようである。
(4)村田さんは、博士のリスニング力、スピーキング力について、次のように書いている。

湯川の出身中学は、名門京都一中なので、もしかしたらネイティブ・スピーカーの教員がいて、最初から本物のイギリス英語を聞いたかも知れない。名門三高においてはおそらくネイティブに習ったのではないだろうか。そのような記述はどこにも見つからなかったが。
 大学に入り、ドイツ人教師が英語で物理の授業をするのを聞いて、思っていたよりよくわかった、やさしかったと湯川も朝永(振一郎)も言っている。

(5)旧制高校の外国語の教え方は「文法訳読式」が主流だった。それでも、社会に出てから役に立つのは、そういう学習が基本的な力として機能していたし、本人の自律的な努力もあったからと考えられる。外国語学習は「急がば廻れ」ではなかろうか。今は教育全体が結果を急ぎすぎるようだ。「英語でコミュニケーションを」と言いながら、教員同士の「話し合い」も十分ではないと思われる。
(6)村田さんからの情報と関係ないが、インターネットで検索すると、「湯川秀樹 国賊」という項目もある。戦時中に軍部の圧力で、理化学研究所は原子爆弾の開発をさせられたが、その資料を研究補助員だった湯川がアメリカに売り渡したというのである。その見返りにユダヤ系白人が支配しているノーベル賞を戦後東洋人の湯川に与えたのだとも。週刊誌のある種の記事のように、「まゆつば」で読む必要があると思う。(浅 野 博)

Comments (2) Trackbacks (0)
  1.  浅野先生,私などの文章に触れていただきまして有難うございます。

     6)「湯川秀樹と原子爆弾の開発」の話ですか,メモも取らずに資料を読んだので,会議の名称などはわからなくなってしまいましたが,少し書かせていただきます。

     昭和18年か19年だと思いましたが,陸軍が理科学研究所や東京大学に,原子兵器の開発についての研究会を作るようにと申し入れ,理研の仁科芳雄を中心に会議が持たれました。仁科はかなり熱心でしたが,実験物理と理論物理の意見交換を通しての研究であって,実際の開発ができるとは思っていなかったようです。

     一方,海軍は関西の阪大,京大に話を持ち込み,湯川も誘われて参加しました。こちらは東京ほど熱心ではなく,会議の回数も多くなかったようです。阪大の実験物理の主任の菊池正士は大風呂敷を広げて,だいぶ勇ましい発言をしたようです。

     参加者は徴兵を逃れられるという餌があり,まじめな研究者も研究が続けられるなら,といった気持でつい入ってしまったようですね。朝永振一郎も東京の方に加わって,研究面で,爆弾ではないが,成果を上げました。

     みな,まさかアメリカが実際に原子爆弾を作り,それを実戦に使えるとは思っていなかったようです。仁科芳雄は大きなショックを受け,自決を決意したが,その前に広島を見たいと出かけ,その惨状を目にし,考えが変わり,世の中をよくするため,日本を復興させるため頑張ろうと,研究者にはっぱをかける方向へと一大転換しました。

     湯川も朝永も,ただ純粋に物理学の研究にと思ってきたのは,一端の責任を果たしていなかったとの反省をこめてか,その後世界平和,核の廃絶の運動にあれほどの力をそそぐことになったわけだと推察されます。湯川は何も言っていませんが,原子兵器開発の会議に名を連ねたことの反省を一生背負っていて,その運動のため,命を縮めるほどの努力をされたと思われます。(村田 年)

  2. 村田先生、見事な補足説明をして戴き有難うございました。人物の業績や行動を評価をする場合に、その人物を好意的に見るか、悪意をもって見るかで大きな差がでます。主観的な判断には十分に気をつけたいと思います。


Trackbacks are disabled.