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浅野:英語教育批評:「ことばの品格」ということ

Posted on 2009年10月15日

(1)『国家の品格』とか『女性の品格』という本がよく売れて話題になってから4年ほど経つが、国家も女性も「品が良くなった」とはとても思えない。前にも言ったことがあるが、「本が売れることと、読まれることは別のこと」であり、「読まれることと、その内容の実践は別のこと」なのである。
(2)誰かが「ことばの品格」という本を書いて、よく売れたとしても結果は同じであろう。しかし、「品格のある言葉」(以下「言葉」と表記)とは何かを考えておくことは必要だと思う。まず考えられるのは、「文法的に正確な言葉」であろう。しかし、「どういう文法か」という問題が生じる。言葉と同じように文法も時代に応じて変化をするから、答えるのは簡単ではない。
(3)NHKが深夜から早朝まで放送している番組に「ラジオ深夜便」がある。ときどき、キャスターとファンとの集いがあって、その様子が放送される。60代、70代の人の発言を聞くと、敬語や謙譲語を正確に使っていて、話し言葉でも正しく使えるのだと安心感を覚えた。こういうのを「品格のある言葉」と呼んでいいと思う。
(4)日本語は、漢字を導入するまでは、話し言葉だけだったわけである。中国から漢字を借用して、やがて、日本人の知恵で「カタカナ」や「ひらがな」が創られて、見事な言語文化が誕生したわけだ。しかし、『日本語の歴史』(岩波新書、2006)の著者、山口仲美氏は次のように述べている。

 日本語の表記が世界でも稀なほど複雑なのは、一つの漢字に複数の読み方をするような受け入れ方をしたところから生じてしまったのです。日本最古の歴史書『古事記』は、漢字を辿ると意味は分かるけれど、声に出して読もうとすると、読めない(p. 21)。

(5)表音文字のアルファベットを使う英語では、「読めても意味が分かりにくい」ということになる。どちらも学習者には難しいのだ。この困難を克服するには、教え方の工夫が大切だと思う。そして、異言語話者の使う異言語は、多少ぎこちなさがあっても、「ていねいな言葉」がよい。それが、その異言語の非母語話者としての「品格のある言葉」であるというのが私の持論である。(浅 野 博)

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