2.本に囲まれて(湯川秀樹の学習,研究,人となり)
Posted on 2009年12月28日
父親の小川琢治は京都大学の地質学の教授であったが,広く本を集めるのが好きで,家じゅう本だらけで,納まりきれなくなると,もっと大きな家へ引っ越すといった状況で,家が図書館のようであった。
母親は子供たちのために雑誌を取ってくれた。『子供乃友』『少年世界』『日本少年』『赤い鳥』などを読み,小学校へ入る前から10巻もある『太閣記』を持ち出してきてどんどん読んだ。ほかにも小学校から中学にかけて,伊勢物語,平家物語,近松門左衛門などを手当たり次第読んだという。なにしろ漢文の素読のおかげで,漢字には苦労しなかった。
小学校時代までは祖父の指導で「大学」「論語」「孟子」などを読んだが,中学になると自分で「老子」や「荘子」を読み,自然をあるがままに見ている点に非常に魅力を感じた。トルストイ,ドストエフスキーを愛読し,哲学書にも親しんだという。
上の姉二人もおそらく頭はよかったと思われるが,女の子は嫁入りが決まると,学校を中退するのが珍しくない時代で,男子とは別と考えられていたらしい。
兄弟はすごくよくできた。長男芳樹,次男茂樹,四男環樹,五男滋樹は,いずれも勉強ができて,将来は帝国大学教授が当たり前といった家庭であった。生まれつきの頭のよさに加えて漢文の素読,本の山の中の暮らし,これらが効いたのかも知れない。
母親は,口数は少なかったが,頭のいい人のようで,子どもたちのために,多くの雑誌を取ってやり,自分も文学書や婦人雑誌などを読んでいた。母は子どもの質問をないがしろにしなかった。どんなに忙しくても手を休めて,自分のできる限りの正確な説明をしてくれたと,湯川は回想している。(湯川にはエデイプス・コンプレックスがあったようで,母を褒め,母を慕う言葉が多い。)
(村田 年)