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漱石から老子・荘子へ,芭蕉へ(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月17日

 中学へ入ると,鷗外,漱石から世界の文学へ,また老子,荘子を読み,特に荘子に強く惹かれた。幼児の頃より素読によって祖父から習った孔子や孟子は,その儒教的な教えがきついと思い,荘子の「無為自然」(人為を捨てて自然のままに生きる),「万物斉同」(自然のままの世界には一切の対立の差別がなく,すべてが同一である),「知足安分」(自分に与えられた「分」に安んじて足ることを知る),「無用の用」など,自然主義的な思想に惹かれた。また,そこに見られる徹底した合理的なものの考え方に傾倒し,生涯の基盤とした。湯川は「徹底」ということが好きであった。

当時流行ったベルグソン哲学にも新カント派にも惹かれたが,湯川は西田哲学にもっとも惹かれた。講義を拝聴しただけでなく,のちに何度も自宅に伺って話を聞いている。

大学へ入り,研究者として立ち,32,3歳にして,広く
世の中に名が知られるようになって,自らの生きざまを
芭蕉の一筋の道,寂寥(せきりょう)の世界,自然への
凝視などに投影して見ている。心の中で自分と同一視する
ぐらい,芭蕉に打ち込んでいたようである。ただし,
芭蕉にならって句をつくるということはなかった。
特に習ったわけではないが,もっぱら啄木調の短歌を
大学へ入り,研究者として立ち,32,3歳にして,広く世の中に名が知られるようになって,自らの生きざまを芭蕉の一筋の道,寂寥(せきりょう)の世界,自然への凝視などに投影して見ている。心の中で自分と同一視するぐらい,芭蕉に打ち込んでいたようである。ただし,芭蕉にならって句をつくるということはなかった。特に習ったわけではないが,もっぱら啄木調の短歌を詠んだ。しかし,啄木から生き方を学ぼうとしたわけではなかった。
(村田 年)

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