2.湯川の英語学習,ドイツ語学習,フランス語学習(湯川秀樹の英語力-その1)
湯川は普通の日本人と同じで,中学と高校で英語を習い,高校でドイツ語を習った。
母親は東洋英和女学校を(結婚が決まって)中退している。英語をよく勉強したので,教科書を初め,いろいろな英語の本が家にあった。二人の姉は母親から英語を習い,英語は好きだったようだ。秀樹が中学生になった頃はもう母親は英語を見てくれるといったことはなかった。
父親は,何にでも好奇心があって,英語やドイツ語の本が家にはたくさんあった。ディケンズやトーマス・ハーディなどの小説も父親は相当読んでいた。
父親は地質,地理の専門家で,30歳で万国地質学会議に日本の代表としてパリに行っている。フランス語もできたが,英語も相当なものであった。その道中汽船から青海原に向かって,バイロンの「チャイルド・ハラルドの巡礼」を朗誦するような人であった。
湯川は高校時代には英語もドイツ語も自分では不自由なく読めたという。丸善で洋書を買ってきては夢中で読んだ。新しい物理学の本など英語でもドイツ語でも一気に読んだらしい。丸善の洋書の書棚にはいつも行っていて,興味の向くまま買ってきては読んだという。ここから推察して,湯川は持ち前の好奇心と集中力で,大量に読書することによって英語読解力,ドイツ語読解力をつけたと思われる。
フランス語は特に勉強したわけではなかったが,物理の論文なら読むことはできた,と書いている。(ときにはイタリア語の論文も読んでしまったという。)
フランス語は三高時代に夜間の学校へ行ったことがあったが,眠くてものにならなかった。もっときちんと勉強したいと思っていたので,あるとき副手をしていて暇があったので,日仏会館に通うことにした。若く美しい女性たちに混じって,感情の細やかそうな,やさしいフランス人の女の先生に習った。パリやフランス映画のイメージがダブる別世界で朝から晩まで理論物理の論文と悪戦苦闘していた湯川にとっては心が洗われるような気分転換にもなったという。
作文の宿題として毎週提出していたエッセーのひとつの説明があったが,それは詳しく,細かな自らの心の動きを記したすばらしいエッセーで,フランス語の初歩の宿題なのに,湯川の語学のレベルの高さを示していると思った。
まとめると,湯川は普通の学校教育程度の指導しか受けなかったが,洋書がたくさんある家庭環境,ものごとに対する集中力,好奇心による多読等によって,自分では不自由のない英語読解力を身につけたと思われる。
(村田 年)